追記。
松ちゃん“エド問題”に持論「誹謗中傷を笑いにする義理はない」
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なるほどー。
けど松本ほどのビッグネームだから言えることだ。
彼ほども売れていない芸人たちがこぞってそんな態度で『法』にうったえていたら、どうなんでしょ。
たしかにそれらを笑いにしてやる義理も義務も無いのかもしれぬ。
けれど、そんな『素の顔』が、芸に対してどう作用するかを考えると、マジな対応は「つまらない」と思ふ。
どういうことかというと、
芸人であってもその人権は守られなくてはならないのは絶対だが、それをコブシを上げて主張するような政治的態度は、どれだけ正しかろうが人は、引くのだ。
それは否定ではないのだ。
笑いにとっては同情もまた『引いた』態度にほかならないのね。
極端な例を持ち出すと、我が子を人質にとられてた芸人が涙ながらにその苦悩をテレビに訴え、大衆の共感と同情を勝ち得たものの、その事件解決後、さっぱり芸がウケないということがありました。
いいえ、ありました。
大衆ってそういうもんです。
思い通りには動いてくれない。
理屈やモノの道理も通じない。
気分屋で、刹那的で、流されやすく、
その意味において『神』なんですな。
海の向こうから来た唯一絶対神の、造物主の神ではなく、八百万の神々のひとつの神。
貧乏神、疫病神の神。
座敷わらしのようなものなんですな。
偉いも偉くないもない。
因果応報も、善悪の絶対的な価値基準もない。
もちろん経典もない。
で、
客商売というのはそんな神々をちやほやしながら(ときにそそのかして)食っていく商売なのだ。
それを手放す覚悟で守りたいほどのコトなら、そうすればいいだけだ。
シンプルだ。
自爆上等、刺し違えを覚悟してやればいいだけ。
で、あらためて考えればいい。
はたしてその誹謗中傷が、そこまでしてやる価値があるのかと。
笑いにしてやる義理もないのなら、刺し違えにする義理など尚更ないんじゃないのかね。
北野武は自分以外にその害が及んだので、それをやったわけでしょう?
仲間を共犯・巻き添えにしたことについては反省していたけれど、その後の芸人人生を投げてまで守るべきものだと判断したから、その人を守ろうとしたわけでしょう?
失ったものもでかいよ。
その後の活躍と栄光があるから、我々は結果論で云々するけれど、あの事件当時の当人としては「刺し違え」という覚悟でしょ?
近親者すらも巻き添えにして。
敵もろとも、と。
でもあそこまでできる人は、そうはいない。
だからそこまでの覚悟ができているのなら法に訴えるな、とは云わない。
引かれるの覚悟なら、言えないよ。他人だもの。大衆だもの。
けどそこまですべき問題なんでしょーかと。
強いて笑いにしたくもない、程度の低い低い誹謗中傷なら、無視はできないのかね。
あたしゃテレビをやめてひさしいので、この女芸人がバラエティーやワイドショーで今現在どれほどの注目度があるのかを知らない。
そこまで芸人の誹謗中傷って、注目されてるのかね。
プロは不幸をも『一笑にふして』くれるのがやっぱかっこいいなあ。
芸人のリングは基本的に舞台であって、法廷ではないのだから。
と、この大衆は思ふ。
☾☀闇生☆☽