ホテルなどの宿泊施設をチェックアウトするとき、御丁寧に寝具をきれいに畳む人がいる。
んが、それは清掃スタッフの手間をふやすだけだからやめましょう、的な話をよく聞く。
一にも二にも効率だと。
スタッフの手間を思えと。
二度手間だからやめてほしいと。
だからどうした、と言いたい。
あれって片付けてくれる第三者の手間を考えてそうしているというのはあくまで建前で、ただ単に、赤の他人にナマのワタクシ的形跡を見られたくない、見られてたまるもんか、恥ずかしい! と。そういう感覚からなのではないでしょうかと。
トイレットペーパーの先端を折る人も、もともとはそういう感覚から始めたのに違いなく。
つまり、生々しい引きちぎりようを、まる出しのままにしたくないと。
「俺はぜんぜん不快じゃないから、口開けて食べてもいいよ」
と言われたところで、口を閉じて食べたいのだよ。あたしは。見られたくないの。
相手を『人』として意識している証左なのだよ。
商い側をロボットとみなしていないということ。
あくまで『人』対『人』だ。
そのジャッジをするのもまた、最終的には己のなかの『人』である。
仮に将来的にすべてがオートメーション化されたにせよ、その自意識まで退化させるもんかとまで思ふのだ。
立ち居振る舞いに現れる『人となり』とはそういうことではないのかね、と。
どうせ翌朝にはうんこになるんだから、と十把一絡げに手づかみで飯を掻き込むのではなく、そこにひと手間かけたいのだな。
そこを楽しめるかどうかじゃねえのかと。
なんかね、
使用済みティッシュは、清掃工場での燃焼効率を考えて丸めずに広げて捨ててね、と言われているような。まるでそんな印象があるのだ。このキャンペーンには。
追伸。
清掃スタッフの手間を考えれば、そもそも宿泊しなければよいのである。
闇生