壁の言の葉

unlucky hero your key


 箱根駅伝ファン、という人種がいる。
 徳光さんも顔負けの熱狂でもって年始のあの中継を何よりも心待ちにしている人たちが。
 あたしの友人にもひとり、居て。
 高校時代を陸上部にささげ、長距離走界に精通しているから無理も無いのだが、あたしら素人には想像できないほど駅伝への『読解力』を備えている。
 そう。
 長距離走を理解できない種類のひとは、あの放映にドラマを感じられない。
 読み解く力が無い。
 読めなければ、想像力は働かないのである。
 想像力が働かなければ、走者のアップがつづくだけのあの画面はただだ退屈なだけであり。
 そこいくと彼は、毎年コースの下見まで続けているくらいだ。
 想像力の基礎固めまで用意周到に更新しつづけているのである。
 なのでその感動の深さは、坂道の勾配を実際に足で確かめてこそなのに違いない。


 とまあ、素人が駅伝を語るのはこの辺にしておいて。 
 長距離走の放映を観ていていつも気になることがある。
 それはゴールシーン。
 駅伝なら次走者に万感の思いを込めたタスキを託し、へなへなと力尽きるあのシーンである。
 大会スタッフが大きめのタオルで選手の肩を包むようにして抱きかかえる。
 けれど選手はすぐには止まれない。
 力尽きつつもよろよろと歩き、喘ぎ、さまよう。
 それをスタッフがタオルで包みながら付き添って。
 けれど選手は止まらない。
 タオルが脱げる。
 スタッフがそれを掛け直す。
 けど止まらない。
 脱げる。
 掛け直す。
 脱げる。
 掛け直す。
 ……。
 昔っからちっとも進歩しないもどかし〜いシーンではないのか。






 思うに、あれ、タオル地のポンチョにはできまいか。






 スタッフはポンチョ型のタオルを輪にして待ち構えておいて、選手がゴールするやハワイ観光客の首ににかけるレイのようにそれを首に通すのだ。
 すれば、あとは自然とポンチョの裾が落ちて、タオルが選手の体を包むと。
 脱げないし、体も冷えない。
 くわえて着順ごとにポンチョにプリントする広告掲載料をかえたりする。
 ならばスポンサーもそれを競り合うと。
 それともあれかい。脱げたり着たりしつつも喘ぎ続ける強靭な肉体が見どこなのかい? と。
 高校野球はあくまで炎天下で連戦しつづけることに意味があるという、そういう話なのかい? と。
 確かにポンチョで体のラインが見えなくなっては、テレビ的にはつまらんわなあ。
 苦闘の具合が伝わらない。
 漫画化しても絵にならない。







 ね。
 われわれは下品を求めてテレビを点けているの。
 

 





 ☾☀闇生☆☽




 追記。 
 覚書。
 発泡酒を含む第三のビール云々。
 それと缶チューハイのたぐい。
 糖類ゼロと謳っているにもかかわらずその多くの材料には『糖類』とある。
 法的にはすり抜けているのだろうが、気持ちが悪い。
 特にビール類。
 分類的な『ビール』には糖類は混入されておらず、発泡酒や第三の云々の低価格の多くには糖類と明記されてある。
 気持ちが悪い。
 一旦それに気がつくと、目について仕方が無い。
 たとえばドレッシング。
 糖類ゼロとかカロリーゼロとあるにもかかわらず、その多くが果糖液糖とやらをを材料にしている。
 なんなんだあれ。
 気持ちが悪い。
 なんにでも入っている。
 なんにでも入れずにはおかれないような重要成分なんだろうか。
 



 ☾☀闇生☆☽