壁の言の葉

unlucky hero your key

役。

 ゲイの役をゲイの俳優が演じることがない。
 そこに差別がある、


 という記事を見た。
 どうだろう。これ。
 呑兵衛の役を呑兵衛が演じるとうまくいかない、という話も聞く。
 かえって下戸のほうが、他人の酔態を観察していることが多いので、酔っぱらいをうまく演じるという理屈だった。
 呑兵衛は、酒食の場ではつねに酔っているので、自他の酔態を客観的に見ていない、と。


 宇宙飛行士の役は宇宙飛行士に演じてもらうべきだろうか。
 猟奇殺人犯の役も経験者にたのむのか?
 出産未経験の女優が母親役をするのは、駄目なのか?
 侍役には侍を、陰陽師役には陰陽師を探し出してきて演じさせるのか。
 


 王様から乞食、奴隷まで。
 老若男女etc、経験したことのない時代の立場や人種や地位や性別を演じられることにこそ、演じるという楽しみがあり。
 そこにこそ自由がある。
 ゲイの役はゲイが演じれば良いとしたところで、その役に設定された他の要素、つまり生い立ちや家族構成や社会的立場や趣味趣向、出身地、出身校、対人関係、および性格は、役者当人のそれとはまったく違うもののはずだ。
 ゲイを十把一絡げに把握してゲイにばかり重点をおくその視点にこそ、差別がありはしまいか?


 ミュージシャン役の演奏パフォーマンスが変なのは、たしかに目につく。
 こいつほんとは弾けねえな、的な。
 なので弁護するとするならば、たぶんそういう違和感からの発言なのだろうと思ふ。
 ではミュージシャンに演技をさせて、それで映画が成立するのかというと、そうでもないことのほうが多いだろう。
 『アマデウス』のモーツァルト役のトム・ハルスは作曲家でも音楽家でもなく、楽器未経験だった。
 それが明かされるまで、だれも不思議に思わなかった。
 『七人の侍』の剣の達人久蔵を演じた宮口精二は剣道すらやったことがないし、むろん人を殺したこともなければ、侍でもなく独身でもない。


 いち個人のちっぽけな私的な情報は、芝居という広大な世界ではかえって邪魔っけだとおもう。
 そんなの要らない。
 これは本物のゲイが演じています、的な宣伝コピーがつけられる映画なんか、どうなんだ。
 バツイチ経験の女優がバツイチOLを演じます、みたいなの要る?
 OL経験の方はどうなんだ?
 映画を、役者のパーソナリティが押しつぶしてしまう恐れはないのか?


 
 役者個人のパーソナリティに役のリアリティを求めるのではなく、
 単に「ゲイ役を演じきった役者は、いまだにいないと思う」で良いと思う。
 
 



 闇生