『特別展 京都 大法恩寺 快慶・定慶のみほとけ』感想。

 『特別展 京都 大法恩寺 快慶・定慶のみほとけ』
 12/10(月) 東京国立博物館にて


東京国立博物館 特別展「京都 大報恩寺 快慶・定慶のみほとけ」

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 なんといっても快慶晩年の名品と謳われる「十大弟子立像」を十体揃えて同じ空間に展示するというところに惹かれた。
 行快作の釈迦如来坐像を軸に、その背後から扇状に居並んでいる様子は圧巻であり。
 立体曼荼羅を連想させようというのであろう、空間として厳かながらも、重く轟くような迫力がある。
 一体一体がそれぞれ別の肉体、人格をもっていて、実に生々しい。
 鎌倉時代の作であるという。
 当時、十大弟子と言われた釈迦の側近たちの情報を得るには、経典や伝承にたよるしか術がなかったに違いなく。
 仏教発祥の地の人々の民族的外見の特徴はむろんのこと、当時、釈迦およびその弟子たちの『人』としての情報が世間にどれほど流布されていたのかは知る由もないが、言い伝えられる彼らの言動や逸話からその人となりが自然に眼前に立ち現れるほどに仏師たちは釈迦とその弟子たちを想い、胸を焦がしたのだろう。想いは執念となり、その念は凝り固まって形を求め。そしてついには彼らの風貌や眼力、佇まいを木のなかにありありと現出させ。いや、彼ら十大弟子たちのほうから忽然と現れたのだ。仏師たちは、仏を木のなかから彫りおこすことに技術者としての逃げ場のない使命を感じたはずである。
 驚嘆するのみである。


 以上『街道をゆく』風に。


 また、運慶の弟子・定慶による「六観音菩薩像」も六体揃っての展示。
 十大弟子とは対照的にこちらは生身の『人』としての描写ではない。
 概念の具象化、とでもいうのだろうか。
 光背というアイデアは、いまの漫画の効果線に引き継がれたのでしょうな。
 キャラデザのお手本です。
 後光がさす、などというように、そういう感覚をわれわれは持っているわけで。


 ええと、
 最終日でしたので、この記事でもよおしても、もうやっておりません。
 あしからず。




 ☾☀闇生★☽