隠遁した伝説の大女優を訪ねるディレクターとカメラマン。
長年、取材を拒否しつづけてきた彼女がそれを応諾した『鍵』とは、いったい……。
とある作品の撮影中におきた謎の疾走、
そしてそのまま引退に至った理由とは。
語られる彼女の半生は、
次第に熱を帯び、
出演作のフィクションと入り混じり、
融合して、
映画の中と、自身の半生と、
そして現在との境界をなくしていく。
これは戦国、
幕末、
戦前、
戦中、
戦後、
そして近未来へと駆け抜ける、狂気。
……なる恋の物語なのだ。
いや、
いっそ言い換えてしまえ。
女優バカ一代記、と。
にしても、思う。
一貫して現実と虚構のスクランブルにこだわった監督だったのだなと。
んで、
こういう何かと何かの境界線をあいまいにする設定の場合、
作り手は、よりその境界線を厳密に設計しなくてはならないはずであり。
そこの線引きの加減がミソとなると再確認。
たとえば、
彼らはその設定の人物たちに目視される存在なのか。
透明人間として、それを覗いているのか。
その時代での『役』をえれば、フィクション世界の住人に認識されるようになるのか。
彼女の語りの世界に取り込まれるディレクターとカメラマン。
ディレクターは長年彼女にあこがれていたがゆえに出演作を熟知しており、やすやすとそのフィクションに、乗る。
うんにゃ、闖入する。
しれっとして名シーンを競演してしまう。
彼女もそれを拒まず物語の共作関係を、
もとい、
共犯関係を築くのだが。
ディレクターが彼女の語りの世界の住人になりきって物語にかかわるのに対して、
カメラマンは一貫して現実のスタイルで、カメラを回し続けるのだ。
とどのつまりが、カメラマンはこの物語のツッコミなのであーる。
なんでやねんっ。
といった態で、フィクションとの境界線を観客に意識させる役割だ。
言わずもがな、お笑いのツッコミもまた説明という役割をしているわけであり。
けれど、
それがちょっとあたしにはくどかった。
もっと突っ走ってかまわんぞ、と。
観客振り切っちゃっても、いいですよと。
やっちゃって、
やっちゃって。
未来編では、
そんなカメラマンがちゃっかりその設定に乗ってしまっている姿があって、おちゃめだったわ〜。
観賞の作法としては、
この縦横無尽に、
してそのテンポに、乗れるかいなか。
決しておたおたしないことである。
してその乗り遅れを回収せんとして、カメラマンの眼鏡君がいるという仕組み。
というわけで、
見逃していた今敏の代表作の感想をやっとこさアップした。
で、
しみじみと思う。
作風から見るその居場所を。
魔法やメカや美少女に頼らず、
といってリアルっぽいシリアスには陥らず、
純文ぶらず、
頑なにエンターテイメントを貫こうとする。
目立たないが、なるほど彼もまた孤高であったのだと。
重ね重ねながら、惜しい。
☾☀闇生☆☽
黒澤作品をはじめとする名作へのオマージュがたのしい。
乱。
蜘蛛の巣城、など。
類型として『ビッグ・フィッシュ』を連想。
対比して感想をやりあうのも面白いかも。