しかしあれは、どうなんだ。
日本でもやらなきゃならんのか。
i-Padを買うときの、店員とのハイタッチ。
いやなに、
あちらの国の文化にケチつけるだなんて野暮天はやらかさないつもりだ。
んが、
にしても、
思わず笑っちゃったよ。
お代をいただいておいてだな、
やったぜ的に客とハイタッチて。
いったいぜんたい、なにをやったのか。
今度あたしもやってみようかな。
本業のエロDVD屋でさ。
鼻フック売って、ハイタッチ♪
拘束ベルト売って、ハイタッチ♪
アナルプラグ売って、ハイタッチ♪
ついでにローションで、ハイタッチ♪
ショーン・ペンが主演した映画に『I am Sam』というのがある。
知能の成長が小学生程度で止まってしまっているサムというおっさん(ショーン・ペン)の話だ。
彼がホームレスの女との間にもうけた女の子を、ひとりで育てていくという物語で。
まあ、その映画としての評価は、ここではおこう。
彼はいわゆる知的障害者であり。
それでいて、たしかファーストフード店に勤めているのだが。
そのマニュアル教育によって徹底的にすりこまれていることが垣間見られるシーンがある。
あるとき他店に客として訪れて、自分の要望が聞き入れられないことに逆上するのだな。
「かすたまー・いず・ごっど!」
サムは頑なにそれを連呼した。
けれど、もとをただせば他愛も無いすれ違いによるものであり。
たとえばロッテリアに行って『マックシェイク』を頼んでしまったようなもので。
うん。
にしてもあれだ。三波春夫が広めた、
「お客様は神様です」
の神とは、日本場合は八百万の神々の神であって、造物主のそれではないはず。
しかし、あちらでいうそれは、唯一絶対のそれにほかならないのではないのかと。
そのうえでの「かすたまー・いず・ごっど」だ。
ははん。
なにかとフレンドリーなお国柄でも、そこはやっぱ商売かと。
そう踏まえていたところに、このたびのi-Padのハイタッチなのだ。
ハイタッチだもの。神と。
客と売り手の境をとっぱらって、人として、この天恵を分かち合おうぜという、あれだ。
なんだ。
キャンペーンだ。
んでね、
重ね重ねに思うのだな。
これ、日本でもやるんだろうかと。
そこでふと思い出すのだが。
昔、プロ野球でホームランを打つと、ダイヤモンドを一周してきた選手はベンチの選手にちょんちょんをやった。
ちょんちょんとは何かというと。
ベンチのチームメイトがお行儀よく一列にならんで出迎えて、両手を「ちょーだい」的に差し出す。
そこへホームランを打った当人が帰還して、ちょんちょんと。差し出された手にタッチしていく。
とどのつまりが『えんがちょ』の逆。
そこで幸運のおすそ分け的なイメージの共有をする。
おそらくは日本古来のケガレの感覚が、作用している、
と思う。
それを放映するテレビの影響だろう。
巷の野球少年たちも、やたら真似したものだ。
しかし、ご存知のとおり大リーグにはそんな習わしはない。
して、そんな文化の違いを「ミスターベースボール」(トム・セレック、高倉健主演)なんていう映画で取り上げてもいたくらいで。
実のところプロ野球なんぞ、観なくなって久しい闇生だが、最近はどうなの?
やってんの? おちょんちょん。
日本人大リーガーを報じる映像の影響で、ハイタッチが増えてるんじゃないの?
それくらい映像の感化力というのは、すさまじいと思う。
感化でいえば。
エンタメでもそうで。
むかしMTVが影響力をもっていたころ。
それに伴って海外アーティストのライヴ映像も、ふんだんに日本に紹介されるようになった。
それはLA発のメタルが、世のバンドブームの火に油を注いだりしたころで。
西新宿には海賊盤屋が軒を連ね。
やたらチェーンやピアスやタトゥまみれのおにーさんやおねーさんたちが、たむろする事態にもなっていたっけ。
んで、
なんか知らんが、
当時売れていたモトリークルーやヴァンヘイレンのライヴ映像の影響なのだろう。
あちらの国ではバラードでライターの火を灯すらしいぞ、と学習した我々は、彼らの来日公演で、こぞってその成果を、すこぶるきまじめに披露したのであった。
嗚呼、ニッポンジン。
そこでまたさかのぼれば。
KISSの初めての来日公演の会場は、たしか武道館だ。
今にして思えば隔世の感があるのだが、
当時はまだ演奏中に観客が立ち上がることは禁止されていたのであーる。
そんな客席の様子にメンバーが落胆していたと、後日報じられたものだったが。
して、そんな報道に落胆して、わけもわからず体制めいたものへの反感を募らせた子どもたちでもあったのだが。
今にして思い返せばだ、
禁じられるまでも無く、そもそも音楽を立ちあがって聞く習慣が無かっただけのことではないのかと。
だいたいレコードを聞く時ゃ、それがロックだろうがスピーカーに対峙して真剣勝負だったもの。
その数年後。
大成功したワールドツアーの凱旋公演をYMOが武道館でおこなった。
白熱する演奏にひきかえ、やはり観客は着席したままで。
ばかりか死んだ顔で、手拍子をしているのだ。
Youtubeで久しぶりにそれを見て、思わず失笑してしまったよ。
ビデオの演出として、歓声をつけ足しているその寒さについては、別にいい。
あれはきっと矢野顕子の『在広東少年』の歌詞のいわゆる差別用語を、消すためなのだ。
ピー音ではなく、歓声で消そうとしたがために、バランスを考えて全体にあの効果を施したのだろう。
んが、
それがあの客席の静まり具合を、かえって引き立ててしまったという、ある種の事故。
でもあれが、当時の率直な反応なのだな。
あれこそが音楽を堪能している、当時の様子なのだ。
それがいつごろからか、演奏の出来、不出来にかかわらず総立ちになるという躾けがされてしまって。
んでとりあえず、どうせ同じ料金だからと、アンコールを二回ほど要請すると。
そんなお決まり好きもまた、ニッポンジンである。
近年の勘三郎の芝居でのスタンディングオベイションもまた、そうで。
野田秀樹と組んだいくつかの芝居と、
コクーン歌舞伎のいくつかのは、そんな熱狂がたしかにあったことは認めるが。
実際、あたしゃそれに居合わせたのだし。
けど公演中、毎回毎回そんな出来なはずは、ないだろうに。
あれもそれを報じたテレビの影響に違いない。
野田が海外に拠点を設けたがっているのは、そんな『庭』に甘えていると鈍るから。なのであーる。
愛があるなら、甘やかすな。
それで、今。
感化の途中にあるのが、やはりハグだろう。
お家芸と言われる柔道の世界大会で、日本人選手とコーチが熱烈なハグをかます映像が、いまやあたりまえになっている。
そもそも畳の上で感情を爆発させること自体、へんちくりんな話なのだが。
その辺のことを語ると長いし、こじれるので、やめる。
ともあれ、師弟間の、ハグだ。
クワイガンジンとオビ・ワンの間ですらそんなハグはないだろうし。
けど、ああまで自然にやってのけるということは、いずれ日常に溢れ返るのかもしれない。
茶室でもきっと「結構なお手前で」とハイタッチをして、師匠とハグと。
師弟のハグが当たり前になるのなら、きっと店員とお客のハイタッチぐらい、浸透するだろう。
と、強引に展開してみたが、やはり無理があるなあ。
この無理は、日本人ならではの照れがもとになっているようで。
実際問題としてその現場は、ぎこちない。
これも何年か前だが。
2001年か。
坂本龍一が地雷撲滅キャンペーンというのをやった。
対人地雷をばらまき、その廃絶に消極的な国でやるのがスジだろうに、なぜかしら日本でやったのだ。世界の、サカモトが。
ともかく。
キャンペーンソングは国内の人気アーティストと、地雷に苦しめられる国々のアーティストとの共演で制作された。
高橋幸宏とスティーヴ・ジャンセンのツインドラム。
細野晴臣のベース。
作詞とヴォーカルにデヴィッド・シルヴィアン。
とくれば、演奏の屋台骨は実質的にYMO+Japanである。
観なくてどうするよ。おい。
それはスタジオで生演奏され。
して無事に終えて、
ピースフルな余韻の中、坂本龍一が居並ぶ共演者たちの中を練り歩き、なんかしらんが喜び的なものを、分かち合う的な方向で片づけようとしたのだが。
うん。
ぎこちなかった。
海外アーティストとの間でのそれは、すんなりといくのだが。
国内アーティストとの間では、
え。どうすんの、的な。
大貫妙子やCharaとキョージュがハグて。ないでしょ。
ましてやユキヒロや細野さんと、てのはもっと無いし。
無かったけど。
握手くらいでおさめたのかな。
だから、その練り歩きと言おうか巡回が、もおね。
怖かったの。
緊張したの。
で、
苦笑いさ。
そういえば、
かつてビデオ屋の店長をしていた頃、
常連のひとりが、ハイタッチを遅番の店員に『教育』してたことがあった。
横で見てて鳥肌がたったのだが、
そのお客は、なにかというと「アメリカではこうやんだ」と、いろんなスタイルを教えるのだった。
缶チューハイを片手に。
カウンター前に陣取って。
寒いというより、訳がわからんかったよ。
どんな感情から出発してんのかと。
そんなわけでi-Pad。
買いませんが、
初日が見ものです。
☾☀闇生☆☽
バイトのケービでやったろかな。
歩行者誘導して、ハイタッチ♪
駐車場誘導して、ハイタッチ♪
クラシックのコンサートではどうなの?
ピアノ協奏曲で、ピアニストと指揮者が感激のあまりハグとかすんのかな。
コンマスと指揮者が演奏後にハイタッチとか。
女性歌手と指揮者なら、挨拶のハグくらいするのかな。
ハグは、別として。
ハイタッチはフォーマルな振る舞いではないのかな。