またもや体調をくずしてもうた。
どなたか膝を貸してくださらんか。
などと願っても、埒の明かん身の程なのであるからして、
身もふたもないと。
例によって例のごとく音楽にすがる。
すがってやる。
ミシェル・ペトルチアーニ・トリオのライブ・イン・コンサート。
これまでなんとなく手が出なかったピアニストだったが、ディスカスでレンタル出来ると知って、ともかくも手を出してみたという次第である。
箱の中身はナンでしょね、よろしく、出した手が掴んだのは至福の時間。
ありがとう。
収穫なり。
アンソニー・ジャクソンと、
スティーヴ・ガッドの強力なサポートに、
つい身を乗り出して、
気づけばひとり酔い痴れて。
とりわけこの二人が、
ど真ん中なスイングビートに取り組むくだりが、あたくし的には新鮮であり。
ツボであり。
なぜかしら、愛おしかった。
思えば、
矢野顕子の傑作『そこのアイロンに告ぐ』のリズム帯も、
このタッグによるものだった。
巨漢アンソニーが客席の上空の、
その闇の虚空にすまう何者かと頷きあって、
汗だくで音を選んでいく姿が、
なんといおうか、
畏れ多いと踏まえたうえに語弊を覚悟でのたまっちまうならば、
つまりはあれだ、
可愛かった♪
特にピアノトリオの場合、
フォルテシモな表現は言わずもがな、
ピアニシモの囁きとその語彙にこそ愉悦があるし、
それが多様な速度とあいまってこそ、
空間は豊穣を勝ち得る。
強弱、
遅速、
音楽の愉しさは双方の振れ幅に因るもので、
たとえ差異が微細であっても変化の具合に、
して加減に、
ある種のサービスがある。
と思う。
とどのつまりがセックスだと。
などと、つらつら。
つかのま、
不調を忘れることが出来ました。
にんまり。
☾☀闇生☆☽
追伸、
アンソニーは、
矢野顕子トリオでの演奏が印象深いので、余計にのびのびしているように感じられた。
といっても矢野さんとのは歌モノだものね。
Take The A Train。
邦題「A列車で行こう」。
言わずと知れたスタンダードのど真ん中だが。
この曲の聴きどころは、機関車の疾走をどうアンサンブルで表現するか。
カバーするアーティストの多くがそこを遊び所とする。
このトリオでのアレンジもご多分にもれず、まったく愉しいことったらない。