上京以来、ずっと使い続けてきた炊飯器が故障して。
今日ついにお役御免とあいなりました。
ううむ。
使ったなぁ。
このまっ赤なボディの象印は。
ダイエットを決意してからは、特に。
内蓋のパッキンが酸化して割れて、そこだけを商店街の電気屋さんで取り寄せて。
しかも、それはもう製造してないといわれて。
それでもメーカーさんが、同型のを探してくれて。
「10円になります」
取り寄せまでしたのに、かたじけなかった。
いまどき10円て。
蒸気が噴き出す穴に、プラスチックの玉があって。
それが炊飯中に、熱した蒸気にころころと転がされるのだけれど。
きっとその重みで圧力を調整しているのだろうけれど。
これもすっかり摩耗して小さくなってしまったので、自分で取り出して、元の大きさになるまでアルミホイルで包んで、でもって使い続けた。
けれど、結局、タイマーどおりに作動しなかったり。
通常炊飯でも、接触がわるいらしく、何時間もかかるようになってしまったり。
ごまかし、ごまかし、使っていたが、もう駄目。
とどのつまり、老いたのだ。
よって今月はうどんばっか。
それではさすがにいかんので、ついに通販で新しいのに買い替えたのである。
ありがとう。まっ赤な象印。
はじめまして。シルバーの象印。
さようなら電気炊飯器。
これからよろしくIH炊飯ジャー。
で、さっそく炊飯。
とくりゃやっぱ納豆めしだ。
カレーライスだ。
握り飯だ。
自然、味噌汁を作る機会が増えるっちゅうもんで。
となれば、具としてとる野菜が増える。
外食が、減る。
「いただきます」と「ごちそうさま」が増える。
どうしたって、増える。
それはもう、あからさまにポジティヴだ。
何年か前に立川談志のドキュメントを観ていたら、師匠は炊飯ジャーを、
「電気釜」
そう呼んでいた。
あの世代は、そうなのでしょう。
といっても、別に、現在に使ったって決して間違いではない。
どころか、この呼称のほうが、ずっとぬくもりがあると思いませんか。
ぬくもりのある言葉こそ正しいと、そう思いたいのですが。どうでしょう。
電気釜。
魔法瓶。
けれど、理屈抜きに信用できる正しい言葉といえば、日本人たるもの、やっぱこれだろう。
「ごはんができたよ」
不肖、闇生。
そう言ってくれる人はいないが、それでも、いただきますだし。ごちそうさまだ。
☾☀闇生☆☽
矢野顕子の傑作『ごはんができたよ』では、いい人の上にも悪い人の上にも、静かに夜は来る。ほら、みんなの上にくる。のだ。
ちなみにこのアルバムの細野+幸宏リズム帯は絶品。
特に、タイトル曲の高橋幸宏がひとりで重ねたドラムは、左右のチャンネルで会話をしているよう。
しびれるよ。