壁の言の葉

unlucky hero your key


 勤務先の後輩が、店頭を掃除中、
「すいません。○○通りはどっちですか」
 女の子の集団に道を訊かれたのだという。
 揃いも揃って、もっさーっと盛り上げた赤毛ギャルで。
 だからひと目でそれとわかったと云うのだ。都心で連日復活ライヴをやっている、あの人気バンドの信者であると。
 春休みだし、きっとやりくりして地方から集結してきたのに違いないのだ。
 驚いたのは、そのマナーだったと彼はいう。
 いまどき道を教えても、譲っても、会釈ひとつ返されないご時世である。
 いい歳こいた大人であってもそうだ。
 いや、大人ほどそうだと言ってしまおう。
 んでもってそれは都会になるほど酷いのよ。
 もお、闇生はそこを頑として決めつける。
 こっちゃ日々身にしみてんだっつの。
 だってさ、ちょいと遠出をしてみれば、ねえ。
 道の譲り合いひとつにもクラクションなり、パッシングなりの形で会釈があるじゃんか。
 この先、警察が網張ってるぜ、と。
 気ぃつけろよ、と。
 けど譲ったもんがバカを見ることが、ちょいちょいあるんだな。この街は。


 ところがだ、
 その赤毛もっさーたちはきちんとお辞儀をし、お礼を言って立ち去ったんだっつーから。
 俺だったら、照れちゃったね。間違いなく。
 でれんでれんだ。
 たったそれだけで、その日一日ハッピーだ。
 あのね、あのバンドのファンてさ、自分たちの言動がバンド本体に影響するということを、強く意識している気がするのだよ。
 どう?
 でもって、それが迷惑になることを、警戒してる。
 健気じゃないっすか。
 少なくともあたしはそういう印象をもっているのだ。
 そこがね、興味深いと。

 
 今や神や神々や宗教やらの絶対的な影響は消えた。この国では。
 いただきます、とごちそうさまの中に棲んでいた神ですからも。
 と同時に、そのぶんだけ道徳の根拠が希薄になっていくでしょ。
 突き詰めれば、ダメなものはダメなんだーっ、と大人はそれを決めつけられない。
 根拠を見失った法律だけが、ただ漠然とあって。
 なんせ法律の根拠には、道徳やら、宗教やらの善悪が横たわっているはずで。
 それが希薄ならば、触れなければ良しと。
 そうやって、日ごと夜ごとに善悪がゲーム化していくのだ。
 つまりゲーム化していっているのは、若者だけじゃーない。
 社会の価値観が、ゲーム化してんのだ。
 法に触れても、法廷で勝ちゃいいやと。逃げ延びればいいじゃんかと。
 いや、たとえ勝たなくても、ゲームじゃんかと。


 でね、
 たとえば少年ジャンプが掲げる三大要素。ってなんだったっけ。
 『努力』と『根性』と、『友情』だったかな。
 違ってたらごめんね。
 ともかく、ああいう『サブ』カルが、はからずも道徳教育の代わりを果たしているという言説を、こないだ読んだのだ。
 はて、誰のなんだったか。
 ネットはあまり見ないので、紙媒体だったはずだ。
 すまぬ。
 で、それを思い出した。
 ならば、道徳やら、世間体やら、伝統やらをぶっ壊す象徴だったはずのロックが、逆の役割を果たすこともあるのかも、と。
 もはや果たしつつあるのかと。
 というのも、それを上から押さえつける役割だった大人や、権力者や、体制やらがもうボロボロでしょ。
 悪役レスラーが「なんちゃってー」て舌出して、ぐだぐだになってるでしょ。


 ということで、
 ファンのふるまいからバンド本体が気になって、ちょっとあちこち検索してしまいましたよ。あっしは。
 親の顔が見てみたい、っていうあれですな。
 正直、音楽的には苦手ですが。
 バンドってのは、プチ社会じゃないっすか。
 つまり、同じ価値観でやってりゃいいものができるとは限らないわけで。
 まず同じ価値観なんてありえないし。
 違う価値観のぶつかり合いだからこそ、ひょっこり良いものが生まれたりするわけで。いち個人の身の丈を超えてね。
 そういう側面も、バンドの魅力でもあるわけだ。 


 ひいては、赤毛もっさーが、不道徳を売るエロDVD屋を、道徳的に感心させるわけで。
 てな話に感心させられるその先輩が、ここにあるわけで。




 なわけで。




 ☾☀闇生☆☽