もういやだいやだいやだっ。あそびたくないっ。
そう泣き叫ぶと、
女の子は自転車を捨てて公園から飛び出して行った。
あわてて母親がそれを追う。
あわや車道に飛び出す寸前で捕らえられたが、なおもそれに抗って逃れようとする。
つんざくような号泣。
そこからはもう言葉にならない。
全身が、怒りと悲しみのかたまりと化している。
いったいなにがあったのか。
その数分前。
幼児用のペダルの無い自転車で遊んでいる別の女の子がふたりいて。
その年長の子の方に彼女は声をかけたのだった。
「まぜて」
ベンチで、昼食後の読書に興じていたあたくしの丁度目の前だ。
して、その返しがあろうことか、こうきたものである。
「やーだよ」
とおりかかった別の大人が思わず「おっ」と声をあげたほど、その拒否は峻烈だった。
はっとして、あたしも顔をあげる。
ふたり組と女の子はそのまますれ違っていく。
吐き捨てられた「やだよ」はきっとボディブロウのように、時間をおいて女の子のなかで広がっていったのに違いない。
異変に気付いたのは子供たちを見守っていたママたちのひとりで。
すべり台のふもとでじっと動かなくなった女の子に何やら訊ねている。
して彼女を『ふった』女の子に取り次ごうとしている。
「○○ちゃん、もう△△ちゃんと遊びたくないって言ってるよ」
彼女もまた罪悪感を覚えたのか。あるいはその顛末にいたるまでに、然るべき「やだよ」の根拠があったのか。トンネルのなかでひとり膝を抱えてしまった。
しかしそこで、ふられちゃった女の子の哀しみのリミッターはついに振りきれる。
出会いがしらに直球でふられたというある種の傷の痛みは、いい。
問題はその恥辱を母親たちに知られてしまったこと。
傷口を公に晒されてしまったこと。
それとその解決に大人の強権が発動されようとしていることが哀しみを怒へと変質させ、挙句、膨張させた。
で爆発した。
政治的介入によって仲直りさせられたとて、なんなんだよ。おい。
ふられちゃった事実は変わらないし。
そんなの敗者まるだしじゃねえか。
みっともないよ。自分が。
ふられた自分が、あえて仲直りしてやらないという復讐の選択肢だって無いわけじゃないのだ。
やだよの女の子にも「傷つけたという傷」がきっと残ったはず。
いや、残る。
もし、それが自覚されるならば、
強権発動による仲直りなんていう安直な予定調和でその傷をインスタントに癒してはなるまい。
断じてなるまい。
痛みは、将来の財産だ。
世界は広いぞ。
どう少なく見積もってもその公園よりは、広い。
しかも「やだよ」の際限のない連続だ。
痛みを胸に、飛び出して行け。
☾☀闇生☆☽