うん、おもしろい。
スネークマンショー
ピテカントロプス・エレクトス
ラジカル・ガジベリビンバ・システム
六本木WAVE
…八〇〜九〇年代にこれらの言葉をかすめた世代には、必読のエッセイ集ではないだろうか。
それはともかく。
収録の「舞台に立つ」の章について、つらつら考えてみる。
以下、長いが興味深いので引用する。
「八〇年代が、『ラジカリズムの敗北』を前提に、戦略的なポストモダンの空気を時代の全般に漂わせていたのは言うまでもなく、戦略性ゆえに、それもまた闘争だったのだと評価を与えたいと私は考えるが、それでもなお、そこからこぼれ落ちたものをすくいあげようとするからこそ問いは生まれる。八〇年代に出現した大半の演劇は、『ラジカリズムの敗北』を横目に、軽快に時代を疾走した。それは『戯れ』であり、『恣意性』であり、おしなべて、『虚ろなスタイル』だが、『ラジカリズムの敗北』を生み出した土壌から遠ざかることによって、一定の有効性を持った。だからこそ強調したいのは、宗教を手掛かりに『問い』を発しようとしたオウム真理教のラジカリズムが、八〇年代に生まれたこと、そして、敗北していったことの意味を考える必要についてだ。私にはそれが、八〇年代の表面を覆った戯れや疾走感というムードの裏に生きつづけた、『暗いまなざし』だったのだと感じる。『暗いまなざし』は、いつだって硬直し、歪んだ方向へと迷い込む。はじめに持っていた輝きはすぐに陰り息苦しさに包まれる。
いま必要な〈ラジカリズム〉は、八〇年代の反動であってはならない。反動であることは、その底辺を漂う、『暗いまなざし』にとらえられるだけのことだ。しばしば起こりがちな、硬直から注意深く遠ざかり、かといって戦略的な戯れにも頼らない。この困難な道を行くのは至難の業だが、だからといって、『問い』を放棄すれば、八〇年代を反復するだけのことだ。」
宮沢章夫著「牛乳の作法」収録、舞台に立つ より。
宮沢の言う『ラジカリズム』やその『敗北』がどう定義づけられたものなのか、文面をさかのぼると、
「ここでいう、〈ラジカリズム〉を『根本的な問い』のことだとすれば、かつてのオウム真理教に見ることのできた積極性とは、宗教本来が持つ根本的な問いを発する力、つまり『ラジカリズム』の徹底性にあったことはまちがいない」
「『出家』という修行の形態ひとつとっても、それが外部の社会と軋轢をもたらし、彼ら自身が硬直をきたすとき、あるべきはずの根本的な問いは変質し、むごたらしい妄想へと迷い込むことになった。(略)それをありふれた言葉で、『狂気』と口にするのではなく、『ラジカリズムの敗北』と呼ぶべきだとしたら、考えるべきことは、『敗北』から逃れつつも、『問い』を発する態度をどこに求めたらいいかということだ。」
で、不肖闇生は思う。
ラジカリズムの敗北から目を背けようとするその心情。
それは紛れもないニヒリズムである。
その冷やかな笑いが、ポストモダンの面白がり主義(あははおほほ)を許した。
が、そこにさえもすくい取られなかった「問う」者たちは、現代社会へのアンチテーゼ、つまりは「問い」そのものとしての、たとえば宗教に身を寄せた。
また、その自らの「問う」欲求に無自覚であれば、「問い」をエンターテイメントに仕立てあげた「エヴァ」的なものに熱狂する。
いわずもがな、エヴァはエヴァンジェリズム(福音主義)をたたき台にしているわけで。
と、アニメに触れたついでに言ってしまおう。
ひょっとすると、
という前置きを頼りにして。
『ガンダム』のアムロ・レイが抱えていたあの暗さ。それと気力の弱さ(とどのつりがシラケ)も、理由はそこにあって、それがゆえに我々は共感したのではないだろうか。
不甲斐ない自分を見ているような、歯がゆさとして。
そのシラケに侵食されていくことへのジレンマは、時代とともにニヒリズム(冷笑)を深めて『エヴァ』の碇シンジへと受け継がれていったのではないだろうか。
ともかくもただ生存すること、それ自体を『目的』としてきた「時代のシラケ」が、それを『手段』として使わなくてはならないシチュエーションに直面して生まれた、不器用なアツさ。
そいつが、少年から大人への道程で否応なく『個人』であることを強いられるときの、あの葛藤の正体なのではないのか。
思うにラジカリズムとは、手元の辞書によれば「急進的」だが、実のところその根っこはいわゆる浪花節なのではないかということ。
つまりは真摯。
んもう、愚直なまでに。
がゆえに「問い」続けずにはいられないのではないかと。
それは「修行」とか、
「努力」とか、
「根性」とか、
「情熱」とか、
「忍耐」とかいう、
おもしろがり主義がこれまで「ダサい」と忌避し、排除してきたもろもろの人間臭さあってのものだ。
そこで思い当たるのは『3K』なんていう言葉の流行である。
「きつい(Kitsui)」
「きたない(Kitanai)」
「きけん(Kiken)」
これらに当てはまる職場は、そりゃもう嫌われたものでしたよ。
マスコミがこぞってキャンペーンを張るもんだから、火に油。
第一、もてねーし。
今となっては、いかに世に職が有り余っていたか、その時代を物語るキーワードでもあるのだが、これらこそは愚直なまでの真摯な問いがあってこそ耐えられるもので、本来はその結果として努力され、創意工夫がなされていくはずなのだ。
そう考えると、ひとつ思い当たる。
八〇年代は3Kに象徴される実体経済(ものつくり)の敗北の序章ではなかったかと。
戦後、高度な経済成長をささえたのが実体経済であるのは明らかで。
そしてその根底には3Kなんぞ屁とも思わない日本人の勤勉と、職人気質があった。
余談だが、ちなみに職人について言う。
なんだろう。
保身的なイメージで語られることが多い。
が、どうせそれもまたキャンペーンのすりこみの類だろう。
すぐれた職人は、たとえばうまいラーメン屋がそうであるように、客にあきられないように密かに少しずつ味を変えたり、良質な食材の情報を収集するなど、実は変化し続けているからこそ守られている技の持ち主であったりする。
伝統なんてものは、元来そんな仕組みであってこそなのだ。
「早く回っている独楽ほど止まって見える」とは野田秀樹の言葉。
閑話休題。
戦勝国アメリカは、急成長を遂げる日本に、もはや実体経済ではかなわんわいと、実体のともなわない象徴経済へと徐々に移行していかざるをえなくなった。
ジェラシーも剥き出しにMade in Japanのテレビを壊す米国人を、そのころ盛んに目撃したものである。日本製のテレビで。
象徴経済とは、ようするに株などに代表されるマネーゲームのことらしい。
その尻を追いかけた日本の大衆が技を捨てて、いわゆるホリエモン的なるものを出現させたのは記憶に新しいが。
捨てられた技は、中国へ。
はたして真摯に問うことに惨敗した者たちは、あははおほほ主義を「暗いまなざし」で見おくり、そのあとのホリエモン的なるものをどう見ていたのだろうか。
はたしてそこに回収されたのか、あるいはまたこぼれ落ちたのか。
落ちた先には、彼らのアツさを嗤ったあははおほほが産んだ虚無が、どす黒く口をあけている。
その正体は過剰な相対主義地獄ではないのか。
国内では忌避されたアツさを韓流の中に見出したあのブームやら、あるいは一億総保守化と言われたあのキャンペーンやらに、彼らがすくいあげられたのかどうか。
というのも、
気になるのだ。
昨今の凶悪犯罪が。
その犯人像の世代が。
その背景が。
これらのことにリンクしてやしないか、と。
つらつら。
以上は、考えつつ書いた。
いわずもがな、
こちとらしがないエロDVD屋にすぎない。
結論は出てない。
だからこれからもたぶん、「問う」。
☾☀闇生☆☽