壁の言の葉

unlucky hero your key

デコチャリでゆく。

 SNS先週最大の話題は、
 高級寿司店でのいわゆる『港区女子』。
 彼女たちの無礼な振る舞いについてだった。


 寿司屋のカウンター越しに客を威嚇する大将を若い弟子が引き留めている画像がSNSで晒された。
 この絵に「殴りかけられた」という説明が付けられて拡散されている。


 絵の強さもあいまって瞬く間にバズったのだが、嘘がすぐにばれて形勢は逆転。
 パパ活だか同伴だかで店を訪れていたこの投稿主がだいぶ話を盛っていたことが判明す。
 居合わせた他の客の証言や状況からみるに、女側の態度にかなり問題があったと。
 挑発すらしていたと。
 料理以外の撮影をやめるよう大将が申し出ても云うことを聞かず、他の客も画角に入れて撮影をつづけていたという。


 まあ、真相は置いておく。
 この港区女子とかいう人たち。
 他の投稿をみるに、よくわからん価値観をしている。
 なぜか奇妙な形をした派手な腕時計(高級なものらしい)を寿司屋のカウンターに並べたり、
 あるいはその時計を寿司と併せて盛りつけたり、
 ウニを手の甲に載せたり、
 控えめに云っても品がない、と思う。


 こういう感覚も含めて『盛る』価値観とあたしゃとらえれているのだけれど。
 粋(いき)の反対の野暮とはこういうことではないのかな。
 有体に云ってダサい。 
 かっこ悪い。


 盛るのは野暮だ。下品だ。子供でもできる。
 引くのは粋だ。上品だ。知性とセンスが要る。
 で、いわゆる港区女子とやらが誇示するところの高級だか上流だかハイクラスとは無縁の価値観だと思うのだな。粋というのは。
 

 キンキラキンに飾るのを美しさ、至高とはしないのが日本の国柄でもあったと思う。
 栄華を豪華絢爛に誇示・誇張するのは下世話で、低俗な者のすることで。
 無駄を省きシンプルで簡潔で清浄、そして静謐にこそ崇高な価値を見いだしてきた。
 内外の宗教施設の違い。あるいは海外の王室と日本の皇室の違いもその価値基準にあると思う。



 近年、盛る文化が蔓延って目にも耳にもうるさくてかなわぬ。
 ああいう価値観はデコチャリの延長にあるようなもので、その下世話で俗なところを自覚して謙虚に愉しむぶんにはいい。
 けれどそれをことさら高級とか上から目線で謳いだすのは、むしろ憐れだろう。哀しい。 
 デコチャリは所詮デコチャリであると自覚して開けた農道や休日の校庭で乗り回すべし。
 公道や高速道路に入っちゃいかんよ。




 

  
 
 ☾★闇生☀☽