朝から嵐。
『三月のライオン』という映画があった。
いや、ある。
「三月はライオンのようにやって来て、子羊のように去っていく」
そんな諺からとったタイトルだという。
花の季節のまえには、かならず嵐があると。
哀しくもあやうい、かつ繊細で激しい、近親相姦を描いた傑作である。
作品の力にはむろんのこと、
まざまざとしたインディペンデント臭に溶け込んだ、強烈な作り手の情熱に、当時はノックアウトをくらってずいぶんと引きずったものだった。
念のために言っておくが、いまの同名の漫画のそれではない。
矢崎仁司が監督し、亡き趙方豪が主演した。
あまりの衝撃に、二度みることができなかった。
のちにDVDで購入したが、やはり未開封のままにある。
為すすべもなく、ゆさぶられるからだ。
ひきずるからだ。
恥ずかしいはなしたが、レンタルビデオ屋に勤務していたとき、商売そっちのけの独断でこれを仕入れたことがある。
けれど、それを借りていく会員に、言いようのない嫉妬のような、妙な感情を抱かされたのを覚えている。
下世話な喩えをすれば、『愛・憎』関係の自分の猫を、まったくの他人の家に一晩お泊りに出すような。
いや、この話は、まあいい。
人をそこまでゆさぶる力をもった映画というものが、存在するということである。
先日、職場の先輩とひょんなことで映画談義になった。
アン・リーが監督してアカデミーをとった『ブローク・バックマウンテン』。
ホモセクシャルの恋愛を赤裸々に描いたものだそうで、あたしゃまだ観ていない。
けれど、監督とアカデミー受賞というのにつられて、興味はもっていた。
なので感想を訊くと、
やはり性愛の描写が生々しく、つまづいてしまい、ダメだったという。
話はそれだけだったのだが。
わかったのはホモセクシャルがだめだということであって、はたして映画として彼にとってはどうだったのか。
それはついにわからなかった。
実はあたしも、その先輩も、監督について勘違いをしていて。
「アン・リーも作風が変わったね」
なんて、知ったかぶりを決め込んでいたのである。
マイク・リーと間違えていた。
マイクの方には『秘密と嘘』という大傑作がある。
役者の感情を尊重した長まわしに優れた群像劇で。
おすすめなのだが、調べたらDVD化していない。
なんたることか。
当時、随分と常連にすすめたが、そのことごとくがタイトルの『重さ』にひるんで、受け入れてもらえなかった。
重い題材ではあるが、それをさらりとユーモアも交えて、なおかつ堅実に伝えているのよ。
話がそれた。
ブロー・バックマウンテンだ。
そんなこんなで、はからずも映画というものを考えることに。
我々は、たとえば猟奇的殺人は認めようもないが、そんなホラー映画は観る。
戦争は御免だが、戦争映画は楽しむ。
ところがゲイがだめだと、ゲイをまんなかに据えたのもノー・サンキューとなってしまう。
んで、思った。
『三月のライオン』もまた、近親相姦がネックとなっている部分もあったのかもしれない。
公開当時、映画好きのあいだでは、ちょっとしたブームにさえなったのだが。
とめどもなく書いている。
尻切れトンボになる、と思う。
部屋にいると息苦しい。
ましてや朝からそんな春の嵐で。
矢崎監督は『三月』とは一年の中のそれではなくて、一生のなかの嵐の季節ととらえてほしいと。
そんな言葉を思い出していた。
外にいこうにも、なんら理由も目的もなく。
ああ、やばい。
晴れ間のさした夕刻に電車に乗った。
降りたことのない駅で降りて、あてもなくさまよって。
街に出て、歩いたことのない道を選んで、やっぱりさまよって。
なんだ。
笑顔の人が、けっこういるじゃんか。
三月の風が、心地よかった。
それだけで、帰ったよ。
☾☀闇生☆☽