壁の言の葉

unlucky hero your key

チビと並走する。

 先日の海保機と旅客機の衝突事故では、
 残念ながら機長以外の海保職員たちは還らぬ人となってしまった。
 しかしCAの冷静で的確な判断と誘導によって旅客機の乗客全員が生還したことは海外のメディアからも称賛されている。


 ところが日本のマスコミはそれが面白くないらしい。


 乗客が撮影した事故当時の機内映像が公開された。
 子どもが悲痛な声で「早く出して」と叫んでいたことが強調された。
 テロップと併せてまるでCAらの対応が遅かったかのような印象付けがなされている。
 しかしこの音声をよく聞けば親が子にセリフを吹き込んでいたことが判明したのである。
 むしろそれに動じず毅然として誘導したCAら職員たちに賞賛の声がいま集まっている。
 

 旅客機には乗客たちのペットも乗っていた。 
 むろん別スペースになる。
 脱出にあたって飼い主はペットを見捨てなければならず、哀しいかなペットは事故の犠牲となったのではあるが。
 マスコミは今度はそれをターゲットに非難し始めたのである。
 何が何でも悪者を作り上げたいらしい*1
 なんとしてでも貶めたいらしい。


 論調はこうだ。ペットと同乗できない日本の航空会社のルールはおかしい、と。
 そういう声をことさら取り上げている*2


 またぞろ「ペットは家族だ」云々の風潮を取り上げてまことにもってやかましい。
 ペットも家族だと云いきるのならばそもそも客室と貨物室に分れたくないはずではないのか。
 彼らはなぜそれを受け入れ、そして分かれたのか。
 目的が『旅行』であれ『仕事』であれ、それは人間の都合ではないのか。
 人間の都合を優先し、動物の都合を犠牲にして分離を受け入れたのだろうに。
 比喩として使いまわしているうちに『家族』を履き違えてしまったのか。


 ペットを子どもと同等と本当に本当に考えているのなら、預けないだろう。少なくとも貨物室には。


 分離が厭ならば飛行機での移動を断念するか。
 もしくはペットホテルか信頼できる身内に預けるか、事情によってそれぞれの判断は異なるだろうけれど。


 



 ちなみにいえば、
 うちの親は座敷飼いを許さなかった。決して。
 離乳してからは庭で飼った。
 子供の時分にはあたしゃそれが不服だった。
 けれどそれは人と動物の棲み分けであることの示唆であるとのちに知ったのであーる。
 いや、示唆とは云ったが親はそれを自覚していなかったと思う。
 なぜなら、どうして家の中で飼ってはいけないのかを問うても「そういうものだから」としか答えてくれなかったのであーる。
 つまりが親の、その親のそのまた親の、といった具合に連綿と続いてきた慣習なのだ。


 むろん日本でも古くから座敷飼いの記録はある。
 花魁が部屋の中で子犬を飼っている錦絵なども残されている。
 なので、座敷買い自体を非難しようとは思わない。
 むしろ、いま犬を飼うとすれば、そして飼えるような状況になったのならば、たぶんあたしも屋内で犬と寝食をともにすることだろう。
 

 ペットも家族と同等に、
 という考えは人間が優れているという驕りに依って立っていると思う。
 私たち優れた人間と同じように扱ってあげている、と。
 しかし動物たちはそう考えているだろうか。
 むしろ人間を憐れんでいやしないだろうか。
 そもそもが違う生き物なのだ。
 思い上がりも大概にするべきだとあたしゃ思うな。
 なぜって、相手が人間であったとすればそうは考えないからだ。
 いやむしろ相手を尊重するならばこそ、棲み分けるだろう。
 相手が異性ならばその前で裸にはならない。
 男性の飼い主は雌犬の前では裸にならないのだろうか。
 家族なら意志の確認もとらずに去勢などできまいに。


 親友だから、愛しているから、などと都合の良い自己満でええかっこしてやいまいか。
 なんでもかんでも真っ平に均して同じにするのは驕慢だ。
 自己中だ。
 


 尊重し合い、対等な相棒のように付き合うのならば、棲み分けつつも並走するような心構えでいるべきだと思うよ。



 ☾☀闇生☆☽

 追記。
 ペットをほんとにほんとに家族だと考えるのならば、
 家族が増えれば生活パターンや行動範囲が変わるのは当然だ。
 子どもが幼いうちは行けない・行かないイベントや店があってあたりまえ。
 登山やアウトドアスポーツの趣味はしばらくお預けとか。
 映画館は避けようとか。
 電車の混雑時間帯だとか。
 子を設けたので奥さんに乞われてツーリングの趣味はやめるとか。
 親が要介護であってもいろいろあるだろうし。
 

 『家族』を貨物室に預けたくないならば、飛行機を使わなければよいと思う。
 綺麗ごとでええかっこしたいならばとことんまでするべきだ。
 
 
 
 

 
 

*1:1/5現在、マスコミが槍玉にあげはじめたのは生き延びた海保の機長となった。国際的には警察による調査と専門機関による事故調査は別だ。警察が介入できるのは刑事事件。つまり犯罪性が疑われる場合においてのみである。事件性のない航空機事故の場合、その事故調査は再発防止のために最優先されるべき案件だ。にもかかわらず現在警察は機長に尋問し、調査をすすめ、そして機長の実名と証言をマスコミに流している。国際的な問題に発展する気配がある。

*2:ちなみにその論調はいま避難所に向けられている。体育館を避難所にするなんて日本くらいだと。劣悪な環境だと。欧米ではもっと設備が整っていて衛生的云々。←これも事実とは異なっており、災害に遭遇した海外で避難所生活を余儀なくされた経験者たちが続々とSNSなどで反論を展開している。生存率が著しく下降するといわれる被災後72時間を迎えようとしている状況だ。道路もまだ分断されている。そのうえでひろびろとしたテントの個室を全員に提供だなんて絵空事である。