その年上の後輩もカブに乗る。
そしてオイル交換のたびにラチェットレンチを借りに来る。
翌日の現場が同じならわけはない。
けれど、現場が異なるとなると道具が手元に戻るまで日が開いてしまうのだ。
それは容易に予想のできることで。
結果は案の定、恐れていたとおりとなった。
この度は貸してひと月ほどが経ってしまったのだ。
その間なんの音沙汰もない。
手に馴染んだ道具を貸す。
これはあまり気分のいいものではないのである。
そして大概において他人の道具を平気で借りるような人は、そのことを理解しない。
貸した当人の気持ちを忖度しない。
それ以前に道具に興味がない。
なので価格の相場なども知らない。
知ろうとも思わない。
なので貸した道具は壊されて返ってくることが多い。
あたしゃ現場で何台無線を壊されたことか。
10台以上はやられたな。
どれも黙って返されたっけ。
借りた当人は玩具のようなものだと思っているらしい。
テキトーに装備し、動いた拍子に路面へ落下させ、壊す。
なぜかボリュームのつまみを持って受け渡しするらしく、よって本体は抜け落ちて破損。外れたつまみは失くす。
休憩時に無線を肩に装備したまま上着を着てアンテナを折る。
話を戻す。
ラチェット。
この先のことも考えて買い与えようと考えた。
同経のメガネのラチェットレンチをアマゾンで探す。
国産ブランドはお高いので某国製の700円程度のを選んだ。
国産のは新たに自分用としてポチる。
それを後輩に話すと「やさしい~」と囃された。
やさしさなんかではないのよ。
むしろ冷酷よ。
この700円の安もんで、今後一切の貸し借りは無しよと。
日頃連絡を取り合う仲でもないのだ。道具の貸し借りしか接点がない。
その接点を700円で、切るのだ。
斬るのだ。
KILLのだっ。
むろん当人にそれを説明するつもりはない。
そして昨夜、やっと現場で彼と一緒になった。
彼は開口一番に無沙汰を詫び、ラチェットは無事に返却された。
用意しておいた安もんメガネレンチを渡す。
えらい恐縮された。
なので「安もんだから気になさらず」とことわったのだが、代金を払うという。
たった700円だからお金なんか結構。プレゼントです。これからも必要になるのだし。
そう云うと彼は、
「こんどお金を用意してきますので」
そこであたしゃ彼の経済状況を知ったのだ。
700円が手持ちに無い……!?
そういやかつて彼は昼間はウーバーをやっていた。
現場にとめた彼のバイクにあのUberバッグが載っていたのを覚えている。
現在は昼に配送のバイト。それから夜勤現場という生活だという。
なおかつ独り身で母親の面倒をみている。
まあ、な。
人生いろいろありますわなー、と。
レンチをプレゼントして結果オーライじゃねえかよと。
うん。そういうこった。
恩着せがましくもならない安もんで、ちょうど良かったじゃんと。
さて、そろそろ夜勤の準備だ。
☾☀闇生☆☽