■縄文人は、共同作業による学習の場で、「文様絵かき歌」的な感じで、一見難しい縄文土器文様を簡易な形で体系的に憶えていた可能性があるのだ。
— 風、未だ止まず (@YM5E9FdHJbBIPkE) June 19, 2023
「総覧 縄文土器 小林達雄 編」P684-685より抜粋・引用 以下 ↓
絵描き歌は記憶法。
そして文字に依らない伝達法であるという視点。
鮮やかだ。
紋様もしくは物体という視覚的表現物を、音楽と云う時間的表現に変換する作業。それが絵描き歌だろう。
いわば塊を、一本の紐とみなして丁寧にほどいていくわけで。
そうしてこそリレーしやすくなるわけで。
その紐をもとに塊は、別の時空の他者においても再現し得る。
そこには受け取りやすいように噛み砕いてやるという厳然とした優しさがある。
考えてみれば幾何学模様というのはそのほとんどが反復であり、
その作業はつまりリズムであるということだ。
編み物もそうだろう。反復。
強弱や色彩は節回し、つまりメロディに( 無意識にであろうが )反映されるかもしれない。
歌のための歌ではなく、ものつくりを伝達するための歌。
となれば歌詞は、歌詞だけで成立するような意味は必ずしも優先されない。
わらべ歌には不可解な言いまわしがあることは珍しくない。
代表的なのが『かごめかごめ』。
ひょっとすると元は何かを創作し記憶・伝達するための歌。たとえば絵描き歌だったのではないかと、妄想を膨らませておる次第。
☾☀闇生☆☽