間奏のギターソロをスキップする人が増えているという。
その影響なのか、
ヒットチャートにはギターソロのない曲が増えているとのこと。
ギター・ヒーローとして君臨していたエディ・ヴァンヘイレン死去の件もあいまって、寂しいかぎりなのだが。
スキップされているのはギターソロだけではないのではないのか。
20秒以上のイントロはスキップされる傾向があるという記事もあった。
アルバム単位で鑑賞するという習慣もいまや薄れつつあって。
第一印象であまり好きになれなかった曲があっても、アルバムひとつでの起承転結(物語)であるとふまえて一曲目から順に聴く、というのも絶えるのかもしれない。
物語の陰影や緩急、色調、静と動のバランスを考えた曲順への配慮も、今後は顧みられなくなるのだろう。
あたくし的には、アルバムのなかで地味な印象だった曲が、アルバムを通して繰り返して聞くことによってじわりじわりと出汁を効かせてくるのを何度も体感してきたし。
結果それが一番好きな曲になることも珍しくないわけで。
またそれが意図して構成されていたことを後に知ることにもなったことも少なくない。
しかし、いまやアーティスト側にもそういう意識の継承は絶えているのではないか。
というのを、小説の未来にも言えるのでは、と思ったのよ。
目次をみてさ、
よさげな章へスキップしてさ、
ささっと味見してさ、
またスキップしてと。
電子書籍や小説投稿サイトでは、すでにそうなりつつあるのでは。
などと拙作『カレイド』の章ごとのPVデータを見て痛感した。
順に読んでいただけている人ばかりではないなと。
ま、『いきなりステーキ』という概念があれだけ持てはやされたのだ。
それはつまり『即尺』『即ハメ』と、欲望の解消法としては変わらんのだし。
それを批判したところで何も変わらない。
ううううううむ。
がんばろ。
おれ、
がんばろ。
☾★闇生☀☽
Yamio (@Yamio42529836) | Twitter