強風にあおられながらクロスカブで現場につく。
公衆トイレで用をすませ、ふとスマホをみて気づいたのだな。
中止連絡がきていたことに。
時間を得したような、けど無駄な通勤時間で損したような。
むろん収入は損しているのだけれど。
こうなりゃ酒だ。
帰りがけにコンビニに寄る。
カップ麺コーナーの品数の豊富さに感心していると、横から野郎の手がのびてむんずとひとつ掴んだ。
すげえ。
迷いが微塵もねえ。
レジへと向かう後ろ姿にほれぼれしつつ、同じのを購入してみた。
実際の人気店の味を、その店主監修のもとにカップ麺化したシリーズ。
流行ってますな。この手のカップ麺化。
実店舗で提供されるオリジナルには及ばずながら、いやはやどうして、かなりそれにせまる再現度ではないか。というところを愉しむらしく。
同時にあたしのように、実店舗で食したことがない人に対してのサンプル的宣伝にもなっているわけで。
とはいえ、このカップ麺化によって「実店舗に行ってみよう」となった人たちはどれくらいあるのかは知らない。
近所ならやはり行くだろうな。
もしくは、実店舗派も習慣的に食せるレベルなのかなと、ちょいとした疑問はある。
店主とメーカーはウィンウィンなのだろうけれどね。
このカップ麺化。漫画や小説の原作を『実写化』するのと似た感触があってだな。
なにゆえ『映画化』ではなく『実写化』と云うのだろう。
そこへいくと日清のカップヌードルは、カップ麺ならではのものを究めてきた歴史があるわけで。
実店舗の代用品という『化』の意識で見なされることは少ない。
もとは店舗で食すラーメンの代用的な発想であっただろうけれど、いまやそういう認識はまずされていないと思う。
この、カップヌードル、カップスターといった最初からカップ麺として開発された商品の潔さよ。
袋麺もそうだ。
チキンラーメンやサッポロ一番の、質実剛健ぶりよ。
人気店のカップ麺化も含めてこの業界、やたら「あとのせ」の小袋が増える傾向があるのだが。
最初は珍しくて面白がられた。
あたしも楽しんだ。
けれど、当初のカップ麺の「お湯を注ぐだけ」という最強のウリはどこへ行ったのか。
寒冷地の屋外や非常時でも「お湯を注ぐだけ」でいいというのは心強い。
などとのたまいつつ、今夜は食さぬ所存。
帰宅すると、尊敬する先輩から馬刺しが届いておった。
ありがたし。
日本酒で、いただきまーす。
☾★闇生☀☽
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