コーマック・マッカーシー著、黒原敏行訳『ザ・ロード』早川書房 再読。
再読なのでネタバレ。
何気なくページを繰り出したら、あれよあれよと読了してしまった。
近未来。
おそらくは核戦争による終末世界。
それぞれの神も正義も秩序も慣習も常識も暦も道徳も文明も、絶滅に瀕しており。
たとえば音楽というものも、無い。
個人と個人が敵対している世界では、伝達に重きがおかれないためだ。
知られないように、できるかぎり他者に知られないようにしてそれぞれが生きている。
むろんインフラも死んでおり。
警察も法律もない。
暴徒と化し略奪の限りを尽くした民衆はそのまま野蛮の道を極め、人が人を奴隷にし、お互いを食料とするようになっていた。
父は、子を守り、この日の当たらない世界で冬を越すために南を目指すことを決意。
母は世界に絶望し、自害している。
泥水を濾して飲み、廃墟をあさって缶詰などの保存食を得る旅。
はたして世界は秩序を取り戻すのか、確信もないまま善き人でありつづけようとする父子。
火を運ぶために。
その地獄めぐりのような旅が、淡々と描かれていく。
ドラマティックな展開はほとんどない。
歩けども歩けどもそこにあるのは文明と自然の痕跡と死だけ。
けれど化石に残された足跡から恐竜を想像するように、読者はこれら諸々の痕跡から文明を想像し直すことになる。
同時に人間性の痕跡から、人間性というものを想い。
そして日常が、あたりまえに成立している奇蹟を思ふ。
父子が運ぶ『火』は、これら失われていくものの象徴であり、人として失ってはいけないなけなし。カナメだろう。
その『火』は脈々と継承され、歴史上絶えたことがなかった。
当然その扱いを誤れば、核戦争をおこす強力な『火』にもなりうるが。
野蛮と人を分かつのもまた『火』である。
父子は言わずもがな物理的な意味においての『火』を運んでいるわけではない。
物理的な意味でいえばむしろ『水』を運んでいる。
火は、安吾の『堕落論』でいうところの、どれだけ堕ち切っても捨てられない最後の何か。
「善い人」でありつづけるための、
いやむしろ「悪い人」にならないために、決して絶やしてはならない種火だ。
闇生