でも観賞できるという感覚で、
なんたらプライムかんたらで『ウォーキング・デッド』を見始めた。
簡単にいっちまえばゾンビものですな。
これを本編中「ウォーカー」と呼んでます。はい。
なんらかのアクシデントによって、文明の利器やらの恩恵が絶えてしまった世界という点において、マッカーシーの『ザ・ロード』を連想してしまう。
それによって正義やら理性やら道徳やら、あるいは文明というものを問い直そうという。
あれをゾンビものとしてエンターテイメントに仕上げたかったのだろう。
『ザ・ロード』が一人の男の非常に内省的な世界として綴られているのと違い、こっちはテレビシリーズだもんで、老若男女および多種多様な人種を視聴者として想定するわけで。
それらを気配りすれば、まあ、メインキャストはこういうキャラでチームを編成するのでしょうな。
アジア人も入ってます。
文明の壊滅度は『ザ・ロード』のほうが深刻であり、時間が経っており。
それに比べてこの『ウォーキング・デッド』は壊滅したてのほやほや。
それだからか、銃弾の消費に無頓着だ。
射撃の練習なんかしちゃってんだもの。
ガソリンや電気のエネルギー問題とか、本来の夜がこんなにも暗いのかという表現すらも、印象にない。
つまり、甘い。
なのでお酒と一緒にたのしめる。
ところでいまシーズン2の6話あたりを見ているのだが。
ウォーカーの恐怖からは隔絶されて、物資にも恵まれ、まるで桃源郷のような暮らしをしているコミューン(牧場)があって。
主人公たちは仲間の救命を乞いに命からがらそのコミューンに移住してくる。
コミューンのリーダー、ハーシェルは「けが人が回復したら出ていけ」と宣告する。
このあたり、昨今取り沙汰されている移民受け入れの問題を彷彿とさせませんか。
でもぉ、外は危険だし。
主人公らは引き続きそこに置いてもらおうとする。
牧場の仕事も手伝うし、いろいろ命じておくれと。
が、彼らも一枚岩でなく。
そのうえで次第に先住民にたいしてあれこれ意見するようになってくる。
コミューン側にも、闖入してきた彼らに情を感じる者も出始めて……。
ますます現状の移民問題と似てますな。
まあ、故意に重ねているのでしょうが。
そういえば、ひとつ疑問があって。
ゾンビの設定として、かれらに噛まれたり引っかかれたものは、ゾンビ化する。というのがゾンビもののミソですな。
で、本編中のゾンビ(ウォーカー)は、やたらと人を食おうとする。
それなのに街を徘徊するゾンビたちは、五体満足(?)なのばかりだ。
たしかに脚が無いのもいたし、下半身が無いのもいた。
けれど、
どうしてゾンビは人を完食しないのだろうか。
人肉が食べたいのならば、完食するだろう。
一人の人間にあれだけ群がるのだ。
そりゃあ完食されたらゾンビとして復活できないだろうけれど。
そこんとこの設定が知りたいのよ。
まあ完食された連中は何も残っていないわけで、つまり街の徘徊はおろかゾンビ化する暇もないということになるのだが。
だとすれば「引っかかれただけ」が多すぎやしないですか。
☾☀闇生★☽