『すべての美しい馬』感想。

すべての美しい馬



 コーマック・マッカーシー原作、ビリー・ボブ・ソーントン監督作『すべての美しい馬』DVDにて


 監督は『スリング・ブレイド』を監督・主演して有名。


 あらすじ。
 原作はマッカーシーの国境三部作と言われるうちのひとつ。
 物語はテキサスの牧場から国境をまたいでメキシコへと展開する。
 テキサスの牧場の家に育った青年、ジョン・グレイディ。
 彼の先祖が代を継いで経営してきたその牧場が、売り渡されることになる。
 そこでジョンは親友レイシーとともに馬に乗り、古き良きカウボーイの世界を夢みて、メキシコを目指す。
 道すがら、奇妙な少年に出会う。
 名はブレヴィンズ。
 彼もまた、馬でひとり旅をしている。
 レイシーはブレヴィンズを怪しみ、関わることを嫌うのだが、少年はどこまでもふたりのあとをついてきてしまう。
 ブレヴィンズは雷を異常に恐れ、
 そのせいで自分の馬とはぐれてしまう。
 その馬は、その後にたどりついたメキシコの小さな町で、他人のものになっていた。
 ブレヴィンズは無謀にもその奪還を果たして、逃亡。
 こうして彼は馬泥棒として追われる身となり、ふたりと別れることに。
 その後、ジョンとレイシーはロチャの牧場で雇われ、
 ジョンは牧場主の娘アレハンドラとの恋に落ちるが、一家はそれを嫌い、娘に近づかないように警告する。
 ある朝、突如としてジョンとレイシーは地元の警察に逮捕される。
 嫌疑は、ブレヴィンズのしでかした“馬泥棒”に関わったとのこと。
 先にブレヴィンズも逮捕されており、三人は留置所で再会。
 弁護もなにも通用せず、警察署長の一存で、三人はサルティーヨの刑務所に護送されることになる。
 そこは、カネだけがモノを言う世界。
 もしいざこざで抹殺されたならば、そこに居たという記録さえも消されてしまう。
 神のいない世界である。


 以下、ネタバレで。

 
 




 同じ原作者の小説はこれまでも読んでいる。
ザ・ロード
『血と暴力の国』(映画版タイトルは『ノー・カントリー《原題No Country For Old Men》』)
 そしてこの『すべての美しい馬』。
 して三作とも読了後にその映画版を観ている。
 共通するのは古き良きアメリカ文化と、その失われつつある秩序への憧憬。
 それと、距離を置いてせまりくる、執拗な追跡者の存在だ。
 特に後者のモチーフには、原作のなかで独特の不気味さを印象付けられる。
 が、映画版のどれをとっても、なぜか割愛されてしまうくだりでもある。
 この恐ろしさには、どうしても時間の経過が必要で。
 尺に制約のある娯楽映画では、どうしても省略法で経過を現わすほかは無く。
 よって小説ほどの効果を生むのは難しい。
 その意味で、かえって重要な要素なのではないだろうか。追跡者。


 さて、前者の「古き良きアメリカ」についてだが。
 その象徴がここではカウボーイであり。
 して、彼らが扱う馬である。
 広大なる牧場を舞台に、カウボーイこそが日常の主役となる世界。それを夢みて国境を越えるジョンだが。
 物事にはすべて両面があるもので。
 古き良き、の「良き」だけを受容しようったってそうはいかない。
 古きには「悪しき」の面もあるわけで。
 おいしいとこだけ食い逃げしては、いかんのだ。
 それがアレハンドラとの恋と、その失恋にあらわれる。
 有体に言ってしまえば、貞操観もまた、この世界では旧態依然なのである。
 アレハンドラをあずかる伯母の立場からすれば、「娘をキズものにするな」というやつね。
 世間体ならぬ、世間さまが秩序の根幹を束縛している。
 同時に、守られてもいるわけだ。 
 そしてその価値観は、決して彼ら個人のさじ加減でどうこうなる問題ではなく。
 その土地に根差す慣習や、歴史に培われてきたもろもろの文化のいち側面として生活と一体化しており。
 不可分だと。
 ましてや、ジョンは渡り鳥だ。
 気まぐれにぶらりと訪れた異国のいち個人にどうこうできるようなものではない。
 どうこうすべきでもない。
 個人の自由、は通じない。
 古きの「良き」だけを頂戴するわけにはいかないように、
 自由の都合の良いところだけを食い逃げしようったって、そうはいかない。
 責務なきそれは自由ではなく、身勝手と見なされてしまうのだ。
 前科者の牧童に、その牧場主のお嬢様の社会的責任を、どうとれるのだといったところだろう。
 この「失恋」にたどりつくのに、刑務所という神のいない世界を経てきたことは重要で。
 要するに秩序も自由も無い、ただただ生きるか死ぬかの闘争にあけくれる無法状況が、アクセントになっている。
 そこではカネだけがモノをいうのだ。
 映画版ではほぼカットされていたが、原作では特別待遇されている囚人のボスが現われる。
 彼には資産があり、それにモノを言わせて刑務所内に別ごしらえの家を持つ。
 神なき刑務所の主というわけだが、彼はアメリカ人こそが神なき人々だと断言した。
 アメリカ人は物事が善と悪にきちんと分かれると思っているが、あれは迷信だと。
 神なき人々の抱く迷信だと。
 彼は言う。エンジンがかからないという理由で自分の車をハンマーで壊しているアメリカ人を見たと。
 メキシコ人ならそんな馬鹿なことはしない。
 車や人が善であったり悪であったりするとは考えないからだ、と。
 仮に、車に悪が宿っているとしても、車を壊したところでなんにもならないことをメキシコ人なら知っている。
 そんなメキシコ人をアメリカ人は迷信深いと決めつけていると。
 ようするに古き良きアメリカの世界に住むジョンにとって、そこは似て非なる世界。
 正反対の価値観をそこに思い知るのだ。
 思うに、
 彼の信じる古き良き秩序や善悪を、一枚一枚服をはぎ取るように失っていったその最深淵。それが、この刑務所ではなかったか。
 ボスとの対話はそんな世界の底でのこと。ジョンは底からもといたはずの世界を仰視したに違いない。
 この秩序も良心も失せた世界から帰還するには、人でありつづけていたのでは不可能だ。
 餓鬼道であれ畜生道であれ、むき出しの欲望の果てでは、人でなしこそが生きる道。
 それは人を殺めることにほかならず……。


 家族を離れ、
 故郷に背を向け、
 解放的で気ままな旅から始まり。
 禁じられた恋に落ち。
 馬泥棒の一味として罪人にされ。
 警察署長による無法な取り調べに合い。
 友人を私刑にされ。
 獄中で生死の狭間を闘い抜いて、
 暗殺者を返り討ちにし。
 直後に、恋人の賄賂による出獄が叶い。
 失恋。
 署長に復讐。
 自分と友人の馬を奪還。
 そして故郷へ。
 こうして見ると、
 テキサスからロチャの牧場への道のりは、彼にとって自由を謳歌する旅であり。
 そこから刑務所への流れは、その自由が行き過ぎて秩序喪失の下り坂となり。
 最深部からの復路は、それを逆にたどる秩序奪還の旅になっている。
 最後は法のもとにそれを確実にする。
 そう考えると、物語の構造はおおまかにいって『不思議の国のアリス』式なのだ。
 アリスの落ちた異世界が不条理の国で、ために使いなれた条理というものを再発見させ、やがて帰還するのに対し。
 ジョンの落ちた異国は、信じていた自分の日常が、善悪が、価値観が、普遍であるとは限らないと気付かせる旅だ。
 着なれた服も、裸になってはじめてその良し悪しを意識できる、といったところだろうか。
 やはりここでもマッカーシーは、失われつあるアメリカの良心を希求しているのであーる。


 最後に映画と小説の違いをいくつか。



 小説での伯母とジョンの対話は、えらく長い。
 いや、
 対話というより、ジョンの弁解を一切封じ込んだ上での演説である。
 が、そこに彼女の歴史が語られるわけで、映画版のようなただの悪役ではないところに意味がある。
 それと何より囚人のボスとの対話は、小説にしかなく、重要。


 ブレヴィンズの死。
 メキシコに『死刑』は無い。
 ゆえに被害者はその復讐に賄賂をつかって『私刑』を行う。
 護送中、ひとり繁みの中に連れていかれるブレヴィンズ。
 映画での彼は署長らに抱きかかえられて行くが、小説では拷問で傷ついた足をひきずって歩かされる。
 その後ろ姿がひどく哀しい。
 そして、銃声がなるまで間がある。
 映画でもその間をおいてはいたが、根本的に違うのは、間の意味するところ。
 その長い間にジョンは何ごとかを気づくのだ。
 射殺するだけじゃないのだと。
 殺すだけなら、すぐやればいいのにと。
 ブレヴィンズが「毛も生えていない少年」であるということを思い合わせると、映画でそれを想像させるのは無理なのだろう。
 ましてやその手の規制にうるさいアメリカ映画である。
 アトムの実写版ですら、アトムの外見の年齢設定で、変更を余儀なくされたというから。


 署長を人質にとってのジョンの逃亡。
 小説では執拗な追撃をうける。
 例の追跡者である。
 やがてジョンは彼らに追いつかれてしまうが。
 映画ではその追っ手の一味に、留置所にいた老囚人の姿を入れた。
 そんな彼らが署長を後ろ手にして連れ去るわけだから、復讐的意味合いが強く臭うわけだが。
 小説版では、一味はあくまで謎の三人である。
 ジョンが誰だと聞いても、ただ「この国の人間だ」とだけ答えて去っている。
 そこに老囚人の姿も無い。
 理由も無く長年収監されていた老人をここに出すことで、映画はエンターテイメント的なオチをつけた。
 ただ余韻としては、小説の方が勝る。
 ジョンにとっての「異世界」メキシコの不可解さとして、胸にのこる。


 全体の感想として。
 映画は、やはり尺が足りない。
 二時間内に収めようと無理したせいなのか、無難に全体をかいつまんだ結果、メリハリが薄れちゃったというやつ。
 これといって印象的なシーンもない。
 小説は、文体のみが難関だ。
 異様なほど長い長いセンテンスに、いちいち労力をつかう。
 この波にのれたならば、しめたもんだが。
 あたくし的には、
 夢中で読んだ『ザ・ロード』や『血と暴力の国』にはかなわない。




 おつかれ。


☾☀闇生☆☽