壁の言の葉

unlucky hero your key

 お誘いいただいて、演劇系の先輩と飲ませていただくことに。
 in 吉祥寺。
 先日、拙作(小説)をなかば押し売り的に送り付けておいたので、その感想も聞かせていただいた。
 ありがたし。
 長いので、時間と労力を使わせてしまったことに恐縮する。
 おそらくは長さ(冗長)と、語彙の乏しさを指摘してくれたのだと思う。
 と同時に、雑談の端々に拙作を読んだうえでなければ出せっこないエピソードをちりばめていただいて、その気遣いにもまた頭の下がる思い。
 

 話好きで、なおかつ技術もあって、もちネタがあらゆる分野にまたがって豊富でござった。
 あれよあれよと連想から連想へとダイナミックに展開していく想像と創造の妙。
 でもって聞き手を楽しまようとするご性分だから、話も尽きなければ拝聴していて飽きることがなーい。
 驚くことに、それだけの話好きにもかかわらず、ちゃんとあたしにも話す機会を振ってくださるのだ。
 だもんで、こっちゃ噛みながら、つっかえつっかえ頑張ってしゃべらせていただいた。
 そのせいもあってか話に集中するぶん、飲み食いのペースもいいかんじでキープでけた感触。
 いや会話をちゃんと味わいたいからいつもよりセーブしたのだと思う。


 にしても、人と会う。
 という体験は、あまりに大きい。
 あたしなんかのぼんくら脳でさえも活性化されるような気がする。
 人、そのものが情報の塊であるからして。
 別れた後もしばし会話が反芻されて、そこから連想や想像がとめどもなくつづいた。
 気づけばそのかたを対話の仮想相手にして、いろいろ考えている。




 楽しかった。
 はたして相手は楽しめただろうか。それだけが気がかりである。
 歯ごたえがなく、つまらない思いをさせなかっただろうか。
 会話は連想の柔軟さ、その視野の広さ、ひとつの事物に対する視点の豊富さ、思考の瞬発力がものをいう。
 むろん聞き手の受けやすい球種を選んで放る観察力とやさしさも重要だ。
 あたしゃ話したいことの3割も話せなかった。


 










 けど、刺激を受けた。
 執筆中の拙作のアイデアがぽんっとまた浮かんだよん。





 ☾☀闇生★☽