壁の言の葉

unlucky hero your key

ハーブ&ドロシー

 佐々木芽生監督作『ハーブ&ドロシー アートの森の小さな巨人』DVDにて




 現代アートの収集に生涯をささげ、決してそれを売らなかったボーゲル夫妻の晩年を記録したドキュメント。
 ユニークなのは、その収集のルールである。
 買った作品は決して売らない。
 地下鉄かタクシーで持ち帰ることのできない作品は買わない。
 自宅アパートに入らないものも買わない。
 その軍資金もまた単純明快で。
 夫は郵便局の仕分け担当。
 妻は図書館の司書。
 その収入でやりくりできる範囲に抑えること。
 妻ドロシーによれば、衣食住はドロシーの収入で。
 夫ハーブの収入はすべて現代アート作品の購入に消えるとのことだった。
 しかしそう書くと、ドロシーはまるで道楽夫を健気にささえた内助の功だか献身だかの耐え忍んだ妻に感じるかもしれない。
 なんのなんの、現代アートへの興味は夫に負けず劣らず、ドロシーも旺盛なのであーる。


 ハーブの仕事は夜勤だった。
 朝方に帰宅して少し睡眠をとり、昼ごろから街に繰り出して新しい作家のアトリエを訪ね歩いたという。
 恐らくは夕方に妻と落ちあったのに違いない。
 とにかくどこにいくにも二人は一緒だ。
 必ず手をつなぎ、アトリエからアトリエへ、展示会から展示会へと貪欲に芸術の渉猟をつづける。
 なんと豊かな関係か。
 一緒にいるために何か共通の趣味を持つ、とかいう付け足しの関係ではないという幸福が、うらやましくはないだろうか。
 まずデートしよう。
 でその次に、じゃ何処行こう、ではないというそこだ。
 となればさながら戦友のような関係でもあったのではないか。
 ひとつは、子宝に恵まれなかったということも大きいだろうが。
 この貪欲なまでの知識欲、ならぬ芸術欲を見るに、仮に子を授かったとしても、同じように生きたのではないかとも思った。


 現代美術、というのは、純無垢の童心による発想をプロの技術で表現するものだと思われ、
 となれば、それを受け止める側にもいたずらな童心が不可欠である。


 これはなんだろう。


 という疑問や衝撃自体を、わからないままに面白がるのが子供の部分で、理解できないことに不快を感じるのが大人の部分である。
 そして理解できないことは忌み嫌う。
 いや、子供は「わからない」ということを面白がるのだな。
 秘密や謎や不思議が、秘密や謎や不思議のままであることを望んでいる。

 
 理屈としてわかる必要はないが、面白い。良い、という感触。それを求めているのだろう。


 振り返って、長年連れ添った夫婦のドキュメントとして、食事のシーンが抜けていることに気付く。
 本題からは逸れているとも言えるし、ひょっとすると当人たちがそこにカメラが入ることを嫌がったのかもしれない。
 んが、
 慎ましやかな日常をとらえるのに『衣』と『住』が記録されていながら普段の『食』がおろそかというのは案外、注目すべきところかもしれない。
 それか監督の意図したものなのか、偶然なのかは分からないが、この場合恐らくは『慎ましやか』を生々しくしすぎないポイントになっていると思う。









 なんて可愛い夫婦だろう。
 


 ☾☀闇生☆☽