アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ監督作『21グラム』DVDにて
前作『アモーレス・ペロス』同様に今作も三つの舞台が描かれる。
それがある事故でつながる。というのも同様である。
カメラはそれぞれの舞台を時間軸にそってハシゴしていくだけではない。
突如として説明もなく『その後』へと飛び、また戻る。
この時間的な行き来が唐突に訪れるために、観客は想像力を強いられるという仕組みであった。
油断してるとおいてけぼりを食うよ。
そのせいで、題材が鎮痛であるにもかかわらず、少しもダレず、絶えず緊張感が保たれていた。
前作と違い、カメラが三つの舞台を巡る理由は簡単で。
三者が臓器移植にまつわるからである。
こちら→オフィシャルサイト(英語)で予告編が見られます。
以下、ネタバレでいく。
第一場として。
ショーン・ペンとシャルロット・ゲンズブール演じるところの夫婦。
かつての二人は別居するほどの冷めた仲だった。
が、夫の病魔がそれを復縁させた。
ペンは心臓を病んでおり、余命一カ月。
ドナーが現れるのを悲観しつつ待っている。
その妻ゲンズブールは、人工授精を視野に入れた不妊治療を決心する。
夫が死ぬ前にせめてその子供を宿そうと焦っているのだ。
第二場。
ナオミ・ワッツ。
薬物常用癖のあった彼女もいまは夫と二人の娘を得て、仕合わせな日々を送っている。
第三場。
ベニチオ・デル・トロとメリッサ・レオ演じるところの夫婦。
デル・トロは前科者で、塀の中と外を行き来する半生。
しかし二年前に改心し、信心にめざめてその信仰は篤い。
二人の子持ちで、そのしつけの信条も神の言葉にもとづき、激しく厳しい。
ある夜、
自暴自棄になりかけていたペンのもとに、ドナーが発見されたと朗報が入る。
急ぎ移植を受けることになるのだが、それは同時に、見ず知らずの提供者に訪れた不幸を知らせるものでもあった。
手術は成功し、体力もみるみる回復していくペン。
友人たちに囲まれ、快気祝いのパーティでその仕合わせを実感する。
だが、それらは本来なら無かったはずの日々ではないのか。
生への感謝が増すほどに気なるのはその引き換えとなった死者、つまりは臓器の提供者のこと。
そしてその家族のことである。
どうにかして恩を返したい。
が、提供者側との接触はむろんのこと、その情報を知ることすら法律は禁じている。
そこで彼は探偵をたより、ついにドナーの身元を知ることになる。
ドナーの死は、ひき逃げがもとだったと判明する。
妻子もちで、二人の娘もその事故で命を失っている。
残された妻ナオミは、悲嘆にくれた日々を過ごしていて。
見かねたペンはナオミに接触を試み、ついにはその因果関係を告白する。
そして、いつしか二人は男女の仲に堕ちていく。
こうして、病むほどに深まったはずの妻ゲンズブールとの絆は、皮肉なことに、回復するほどに削がれていくのだった。
しかし、新たな愛を得たからといってナオミの心の傷は癒えない。
絶っていたはずのドラッグにふたたび溺れていくばかり。
ペンはそんなナオミのために復讐を思いつくのである。
それは、愛する者への正義感に、復讐心を焚きつけられるという具合で。
ペンは、ナオミの夫と娘たちを轢き殺した男を探しはじめる。
その男が、前科者デル・トロである。
事故後、現場を離れてから出頭し、入獄していたことがわかる。
与えるも奪うも、一切は神の御意思であると踏まえていた彼に訪れた不運だった。
改心していたがゆえに、苦しみは深く。
激しく。
彼は獄中で神を恨む。
絶望し。
そして、自殺をはかる。
やがて、刑期を終えて家族のもとにもどるが、自分の子供の姿をつい被害者の子供と重ね合わせてしまう。
贖罪。
自分ばかりが仕合わせであってはならない。
とばかりに家を出、安モーテルで日雇いとして暮らし始める。
そんな彼をペンが見つけ出すのだ。
銃で脅し、デル・トロを草むらに連行して……。
この映画のミソは、そこから先。
ペンの謎めいた最後の行動である。
彼はナオミの家庭を思いやったには違いない。
がしかし、デル・トロの事情やその家庭を思いやったとは、描かれていない。
デル・トロは入出獄を繰り返していたがいまはすっかり改心している。
にもかかわらず若気の至りで彫ったタトゥがもとで職場を解雇されているなど、せめてその不遇ぶりが描かれていれば、あのペンの行動はもう少し明確になっただろう。
なぜならデル・トロが轢き逃げをしていなければドナーの死もなく、ひいては自分の今もなかったはずで。
ナオミとの出会いも無論、なかった。
なので思いやる根拠は大アリなのである。
この理不尽の関係のなか、新たな移植もまた不適合であると、ペンはひとり密かに知るのだ。
その葛藤があればこそあの行動は、あっけらかんと活きる。
もとより、無かったはずの人生だもの。
それからペンが、この世の一切は数字でできている云々と語るくだりがあるのだが。
これはデル・トロの信心=盲信と拮抗させようとして出したものなのか。どうか。
その数字の不思議と完璧さも含めて神のご意思であるとしてもいいのだが。
二人の価値観の対立関係をはっきりさせておくのも、あるいはアリだったかもしれない。
ドナー問題。
ある意味、不幸がつなぐ幸福であるからして、これからも繰り返し映画の題材にされることだろう。
そう簡単に片づけられる問題でもないよね。これ。
ナオミ・ワッツ。
かつてここに感想を書いた『ザ・バンク』と大違い。
本当に同一人物かと疑った。
ザ・バンクでは説得力に欠けるキャラでどうしようもなく浮いていたが、今作ではきちんとハマっている。
メリッサ・レオ。
デル・トロの妻役。
この数年後に『フローズン・リバー』でスポットを浴びるのだが、すでに良いです。
ショーン・ペンとデル・トロについては、いちいち褒めるまでもないでしょう。
音楽。
前作と違って、統一感があります。
この世界の空気を、ちゃんと形作っています。
なかなかよろし。
エンディング曲は、字幕が欲しかったなあ。
最後に、
ショーン・ペンがナオミを口説くくだり。
そこでベネズエラの作家の詩、なるものが紹介される。
『地球は回転し
人と人を引き寄せる
地球は自転し
僕らの中で回る
夢の中で僕らが一つになるまで』
んが、
実のところは、
この星の自転は、事象や人の遠心分離を促してもいるわけで。
それゆえに結びつきたがり、
それがために激しくぶつかるのだ、と思う。
だもんで、
こっつんしたらごめんなさい。
自転のせいなのです。たぶん。
☾☀闇生☆☽