品が無い。
との理由で初回放送後に休止になったテレビ番組があるそうで。
けれど、
品が無い番組などほかにもあるではないか、との声もあるらしく。
つまりが「みんなやってるじゃないか」というヤツですな。
それを言ったところで埒はあかねーよ。
そもそもテレビに品を求めていること自体がおかしいのであって。
振り返れば街頭テレビとして古き良き日本の記憶となっている力道山のプロレス中継でさえ、そうだ。
半裸の男が旧戦勝国の男を殴り、血まみれの半殺しにするショーだったわけで。
品も格もあったもんじゃない。
それをあたしらは喝采したわけだ。
大衆の差別感情とルサンチマンを、えげつなく商売につないだもので溜飲を下げていたわけだ。
はあスッキリした、と。
初期のドッキリカメラのえげつなさにもまた、他人の失敗を嗤おうとする覗き趣味を、露骨に解消させてきたわけでしょ。
コント55号のアイドルで野球拳をする企画だの。
ドキッ、女だらけの水泳大会のポロリだの。
ドリフだの。
はたまたそのコントに付けられるババア笑いにしても。
ひょうきん族。
オールナイトフジ。
夕焼けニャンニャン。
愛のビンボー大作戦。
笑っていいとも。
湾岸戦争。
オウム事件。
あさま山荘の中継にしたって、そうだ。
品、という事で考えたら、カケラも無い。
立てこもり事件の生中継を睨みつつ、建て前では「人質の無事の救出」を願い、けれど深層では「事件」を待っている。
おいまだかよ、と。
早く突入しろよ、と。
そういう野次馬感情が「ソーリ、ソーリ、ソーリ」と連呼するような政治家を祭り上げてきたわけでしょ。
大会社のお偉方が深々と頭を下げて謝罪する姿を、テレビ名物にしてきたわけでしょ。
めしうま〜、と。
むしろ品は、守旧派として悪役に仕立ててきたわけでしょ。
だから視聴率という形で支持されてきたのは、品の無いものばかりで。
それがいまネットに引き継がれただけのことだ。
丸出しだ。
品だよ、品。
あったっけ? んなもん。
そもそもテレビに。
そう考えて、辛うじて教育テレビの存在自体に、良心らしきものがあるのかなと。
NHKのネイチャー系ドキュメントにも。
だもんであたしはNHKが時代にすがって民法っぽく装うのが嫌なのよ。
お前らが媚びてどーすると。
建て前を続けろと。
んで、
それでこそ民法は品の無さで売っていけるわけよ。
あのね、
あたしたちは下品を求めてテレビを点けるのだ。
作り手はまずそれが賤業であることを、せめて自覚するべし。
まあ、あたしゃいまだに地デジ難民として、悠々自適の毎日ですが。
勝手にやっといてください。
追記。
その昔、代々木の片隅のビデオ屋に勤めていた時、場所柄からテレビの撮影に出くわすことが少なくなかった。
うちの看板が映り込むので、その許可を取りに来たり。
あるいは店内をドラマのシーンで使えないかロケハンに来たり。
記憶にあるのは彼らの高邁で失礼な態度しかない。
断ると、
「あの有名俳優○○が主演なんですよ」
だから何?
有体に言って胸糞わるい。
交渉してくるのは、彼らの末端スタッフなのだろうが、だからこそその振る舞いにギョーカイの行く末が透けて見えたわけ。
「あとでまた挨拶にうかがいますので」
来たやつは、ひとりもいない。
タレントや俳優が入会したことは少なくなかったが、やはり大物ほど丁寧な接し方をしますな。
たかだかビデオ屋の店員にさえね。
☾☀闇生☆☽