ひきつづきムーミンシリーズを読んでいる。
いま『ムーミン谷の仲間たち』。
この辺からなんだね。みんなの好きなスナフキンがスナフキン然としてくるのは。
彼に人気があるのは、孤独をたしなみ、それでいてその豊かな経験に基づくアドヴァイスをくれる、という優しさなのかな。
意地悪く言えば、都合がいい奴。
自己完結してくれているので逆にこちらが頼られることはないわけで。
べとつかず。こまったときだけ支えになってくれる。
読み進めばまたちがったスナフキン像に出会うかもしれないけれどね。
ともかく、そんなこんなであらためて確信したのだ。
なにをって。
孤独のたしなみ、というものは社交のためのものだということを。
すべての学問はむろんのこと孤独ですら、社交のためにあるのだということを。
うるさく思ったティーティー=ウーと別れてから、ふと引き返して彼を探したスナフキン。
つまり孤独は、あくまで孤独同士で繋がってこそ、成就されるわけ。
その引力が、彼を引き返させたわけ。
その社交の瞬間のためにこそ、孤独は各々にあるのだ。
孤立とは違う。
卑近な話で腰を折ったろうか。
休憩時間。現場の詰所で食事をとったあと、なにかの試験問題集をひろげて勉強している奴に、あれこれ世間話を振っているのが居た。
詰所を出て、わざわざ公園まで出張ってベンチでくつろいでいるのに、それを探しだして馬鹿話を振っているのすら居た。
むろん孤独は両刃の刃でしょう。
コドクと言う名のドクであって。
しかし用量次第では薬にもなる酒のようなものでしょう。
翻弄されるのも、耽溺するのもほどほどにしとけと。
なので孤立なのか孤独なのかの見極めが肝要で。
んが、まず自身にそれをたしなむ心がなければ、他人の孤独を気遣えないだろう。
知性、だなんてシャッチョコバッタ言葉は身の丈に合わないので使いたくないが、その気遣いがすっぽりと欠落している人に出くわすと唖然とすることがある。
人と人を隔てる壁は、決して突き破るものじゃないよ。
どちら側かの占有物でもないしね。
わきまえて、共有すべきもの。
ノックするなり、
窓やドアをしつらえるなり。
んで、
お互いに好きな柄のカーテンをつけようじゃないの。
追記。
酒にもいろいろありましてな。
醸造用アルコールなのか、大吟醸なのか。
甲種なのか、乙種なのか。
呵々。
☾☀闇生☆☽