ジョエル&イーサン・コーエン監督作品『トゥルー・グリット』DVDにて。
あえて言っちゃおか。
痛快だったと。
なにがって、物語が、ではなく。
テンガロンハットにウエスタンブーツの粗暴な男たち世界を、現代のおりこーさんな価値観で裁いてない点。そこが、である。
なんせ物語はシンプルだ。
14歳の少女マティが、殺された父の復讐をするお話である。
飲んだくれの保安官コグバーンを雇い、
賞金稼ぎのテキサスレンジャー、ラビーフと三人、仇を追って先住民居留区へと旅をする。
冒頭からコーエン節が光っていた。
父の棺のそばで夜を明かそうとするマティに葬儀屋がこう云う。
「あとから三人来るが」
つまり、相部屋になるけどいいかと。
広場に出ると、その三人の死刑がいましも執り行われようとしているのだ。
白人二人と先住民一人。
白人二人は執行のまえにひとこと演説をぶたせてもらえる。
んが、先住民は容赦もなくさえぎられてしまう。
そのブラックなこと。
ジェフ・ブリッジスの好演が光る保安官コグバーンも、純粋潔癖な正義の人ではない。
飲んだくれ、
つねに煙草をふかし、
先住民の子供は問答無用に蹴り散らす。
ラビーフも14歳のマティのお尻を容赦なくスパンキングするし。
とくに全体に死と死体の扱いがあっけらかんとしていて。
というか、そのやっつけっぷりが、いかにもだもんで。
つまり、そこなんだね。
そこんとこにコーエンらしい笑うに笑えない滑稽味が醸し出されていたという次第であーる。
あるいは風刺と言ってもいい。
現代アメリカの『お里』を身も蓋も無く明かすのだから。
あたくしが「痛快」にそえた『あえて』の意味は、そこね。
ラストのアレなんざ、どーよ。
先日の檻から逃げた熊の射殺に抗議した人たちは卒倒するんじゃないのかね。
あそこでのコグバーンの決然とした行動は、優しさなんです。
てか、常識的なふるまいなんです。
役割を終えたものへの慈悲なんだ、あれは。
哀しいかな現実として、命には重い軽いがあるし。
優先順位だって厳然とある。
ましてや、老いと酒浸りの身体にムチうって、夜通し疾駆するコグバーンである。
ともすれば自分が死ぬかもしれないのは覚悟のうえだったろう。
いや、てめえの命なんざ思慮の外か。
守るべきものの優先順位が明確ならば、そこに躊躇など微塵もあるはずがないではないか。
そもそもジンドウだとか。
あるいはジンケンだとかいうヒューマニズムの概念が、どれほど浸透していたのか。この時代。
ドーブツアイゴもまたそうだろうし。
副流煙ならなおのことである。
ビートルズの有名な『アビー・ロード』のジャケット。
そのポールの手にある煙草を削除するの、しないのという話があったが。
あれはどうなったのだろう。
『E.T.』でも、子供を追う警官の手から銃を消したりと。
なかったことにするそれって、どうなのよ?
おい。
最後に、これは復讐劇ではあるものの、少女には粘着質の憎悪が微塵もなかったことを記しておこうっと。
よって、お涙ちょうだいにはならないし。
悲壮感もない。
どうやら私憤からの復讐ではなく、公憤と言おうか。天に代わってお仕置きよ、ではないが。ある種の信条が彼女を突き動かしているようでもある。
マティはただ、あたりまえに死んでゆく者たちに目を見張るだけ。
ラストの朦朧としたなかでのあの狼狽だけが、少女らしい振る舞いといえようか。
それも、人があっけらかんと死んでゆくのを散々ぱら見送ったうえでのことであるのが、興味深いというか。
有体にいってしまえば、カーイイのね。
静かなユーモアを読み解きながら観るべし。
☾☀闇生☆☽