ダニー・ボイル監督作『スラムドッグ・ミリオネア』DVDにて
なんせ劇場で観た予告編には、みのもんたが出ていたもので。
なんといおうか、
その印象がもとでこの映画、なんとはなしに遠ざけていた。
ご存知のように、クイズ・ミリオネアというあの企画自体が、そもそものところ海外のもの。
それが日本でもヒットしたのだから、日本版司会者みのを出すのは宣伝としては当然の流れなのだろう。
んが、
あの予告編はない。
やっちゃいけない。
劇場でも失笑がおこっていたのをおぼえている。
それはそうと、感想である。
以下、ネタバレで。
スラム育ちで学歴も無い孤児が、この番組で優勝賞金まであと一問というところまでこぎつけた。
物語はそこから始まる。
彼は無学で、仕事はお茶くみ。
司会者はそんな彼の底辺ぶりをからかい、観客も嗤っている。
が、
つぎつぎと正解を重ねていくにつれて、懐疑し始めるのだった。
イカサマではないのか、と。
ついに最終問題を残すのみとなったのだが、そこで、
『続きはまたあした〜♪』
と番組は一旦終了。
おあずけに。
突如として主人公は警察に連行され、拷問にかけられてしまう。
物乞い上がりのお茶くみ風情に、解ける問題ではないはずだと。
観客席の協力者から、解答のサインを受けていたのだろうと。
そして一問、一問、なにゆえその解答に至ったのかと、尋問に応えて彼は記憶をさかのぼりはじめる。
そこで明らかになったのは、
その豊かな知識は書物やネットから得たものではなく、自身の人生経験のなかで培ってきたものだということ。
宗教的対立による母の虐殺。
孤児として埋立地に寝起きするゴミ収集の日々。
幼い物乞いたちを組織して利用する大人たち。
虐待。
脱走。
窃盗。
そして、恋。
インドのどん底を駆け抜けた半生が、そこにまざまざと証言されていくのである。
ポイントは、彼の目的が一攫千金にはないこと。
そこだ。
映画として、いまどき一攫千金だけでは、どうしてもしょぼいのだ。
物語にならない。
そもそも大金というものは、ただそれだけでは目的に値しない。
人気のテレビに出て、
注目され、
離れ離れになったカノジョに会いたい。
それが彼の第一目標なのだ。
不実の恋。
おそらくそれはクイズの最終問題よりも難度の高いもので。
四択どころの問題ではない。
で、
そこに焦点をあてなければ、映画は実につまらないものになってしまう。
対比として、あくまで闇を生き抜いた兄の半生もまた、そこで活きてくるのだ。
インドの闇。
などといっても、そう構えることはない。
監督は誰あろうダニー・ボイルだ。
あくまでエンターテイメントとして、それを扱っている。
冒頭、少年たちが警察に追われてスラムを疾走していくシーンは、そのまま監督の出世作『トレインスポッティング』の導入部をなぞっているのだが。
そこにこの映画への監督の姿勢を見ることができるのではないだろうか。
あれがイギリスの若者の暗部を描いた『痛快な悲劇』ならば、本作はなんだろう。
終幕の歌とダンスで、強引に「めでたしめでたし」に持ち込んではいるのだが、これは『トレスポ』の「爽快な救われなさ」とは対極にあるような気がしてならない。
むろん形式的にインド映画の通例に従ったわけだが、あくまでこれはインド映画ではない。
インド映画にはなれていない。
インドでインド人俳優を撮っただけではインド映画にはなりきれないのだ。
ここにあるのは、あくまでイギリス人監督の目を通したそれであり。
という距離の置き方こそが、ショービズであり。
ひょっとしたら、救いなのかも。
あるいは監督のサービスなのか。
逃げなのか。
☾☀闇生☆☽
子役が可愛かったあ。