沙村広明の『無限の住人』は新刊がでるたびに追いかけた。
結局、最終巻までつきあった。
不肖闇生は多少なりとも感受性をひっかかれることもあり、
人に勧めたこともある。
んが、このたびの実写化だか映画化だかしたのは、観ていない。
なので、あたしゃソレの批評をする資格はもちあわせないのではあるが。
それはともかくとして以下、のたまう。
いわゆるスターを主演に据えて、そのネームバリューだか人気で客を呼ぼうなんていう時代は、古き良きレンタルビデオ屋全盛期のお話であり。
国際的に見ればとっくに終わっている。
……と、思ふ。
少なくともエンタメ路線ではね。(ごく一部では残存してますが。)
そんなのはシュワちゃんだのスタローンだのハリソン・フォードだのブルース・ウィリスが看板になっていた時代の話ことで、いまや御伽噺のようなものではないのかと。
タイトルよりさきに『シュワルツネッガー最新作』が銘打たれていた時代。
監督も『スピルバーグ最新作』とかね。まずそれがあった。
観客からすればそれが保険だか保証のようなもので。
あの人が出ているから、あるいはあの人が作っているから、コケたとしても最低このくらいのレベルは保っているだろう、という滑り止めであった。
ただしその『スター』なるものも、最初からスターだったわけではなく。
たとえばブルース・ウィリスの出世作といえば言わずと知れた『ダイ・ハード』だが、その一作目のとき、彼は知る人ぞ知るテレビ俳優だった。
アメリカのテレビシリーズなどには出演していたが、日本ではほぼ無名で。
火がついたのは、その公開作がレンタルビデオに落ちてからのことである。
あれよあれよとうわさが広まり、アンコール上映が繰り返されてその続編公開時には大ブームとなった。
それが実績となり、
繰り返されて彼の打率が認知され、ある一時期、名前がそのまま安心マークになったのであーる。
その時代が過ぎたということは、スターの時代も過ぎたといえるのではないかと。
ましてや現在の日本に『スター』は、いるのかと。
『映画』のタイトルの冠にどどーんと大書するに値するスターさまが。
ことわっておくがあたしの云うのは『映画スター』のことを言っている。
むろん『人気タレント』でもなければ『好感度ナンバー1』でもなければ『ベストジーニスト』でもない。
『アイドル』でもない。
有体に言ってしまえば、もうそーゆーのやめませんか。となってしまう。
まず、人気原作ありき。
まず、人気タレント主演ありき。
的な企画の立ち上げかたは、もうやめませんかと。
むろんその成功例も少なからずあるのだろうけれど。
そして未見の本作も、その一例なのかもしれないけれど。
作り手よ、これだけは忘れないでほしい。
人が映画を観に行く最大の理由は、何か。
映画が観たいからである。
ちゃんと映画を観せろ。
☾☀闇生★☽