壁の言の葉

unlucky hero your key


 味のわからない奴は、才能がない。


 だなんて言うのだな。
 かの黒澤明は。
 味覚のセンスがない者には、彼の映画作りのモットーであるところの、
「天使のように大胆に、悪魔のように繊細に」
 は、貫徹できんよ。といったところだろうか。


 この味覚というもの。
 とことん意地悪。
 で、ほとほと罪深い。
 なぜなら、ひたすら贅沢になる一方なのである。
 一旦、庭付き一戸建てに住んでしまえば、駆け出しのころに住み慣れた風呂無し、トイレ共同、四畳半にはもどれないように。
 かく云うこの闇生。
 恥ずかしながら、歳相応の味覚を持ち合わせていない。
 すまん。
 味覚の鍛錬を怠ってきた半生なのであーる。
 そもそも、ひとりぽっちな上に、人ごみが大の苦手ときている。
 混んでいる店がダメなのだ。


 へなちょこだ。


 これは社会人としてまったくもって致命的で、自然、いつでもすいていて、なおかつ一人で行ける店ばかりに通うことに。
 ようするに、まずい店だ。
 よって、うまい店を知らないの。
 んな奴には、誰も近づかないの。
 ならば、付き合い飯もないの。
 断じて、無いの。
 そうこうしつつ無駄に歳を重ねてきてしまったので、まず店が、こわい。
 んで、店員の笑顔が、まぶしい。
 彼らのチームワークの出来・不出来に、気が散ってしまう。
 閉店時間が気になる。
 無粋なBGMが、痛い。
 食べ方でこちらのヒトとナリを見究めようという同伴者の視線もまた、うるさい。
 なによりそんな自分が、鬱陶しい。
 そんな体たらくだから、なんだかんだいって、結局は外食をほとんどしないのである。


 んじゃあ、なにかいと。
 料理をするんかいと。
 キム兄みたいに料理もできる便利な男ぶるんかいと。
 ははん。もてようって魂胆かいと。
 ブログならなんでもありかいと。
 訊かれもしないのに答えるならば、それもダメだぞと。
 自炊はするが、朝食は納豆ご飯に野菜たっぷりの味噌汁のみ。おかず無しという。ほとんど囚人以下の献立なのでござるよ。


「精進料理か」
 かつて、そう言われた。


 そのかわり、と言っちゃなんだが、味噌汁は毎朝、煮干からダシをとっている。
 アクだってとっている。
 仕事柄、昼飯は勤務中だ。それも、客の途切れを見計らってカウンターのなかでやっつけなくてはならないから、哀しいまでにシンプルだ。
 持参した握り飯と野菜ジュース。それにソーセージくらい。
 飯の量はといえば、朝に一合だけ炊いて、半分を朝食に。残りを握り飯にという具合で。
 だからどうした、と言われりゃそれまでだが。
 まあ、そうなんだと。
 あれこれ工夫してダイエットを心がけた結果、そこに落ち着いたのである。
 ひとりぽっちな自分を逆に利用してやった、というわけ。
 うん。まさしく、してやったりだ。


 んが、
 そこに至るまでには紆余曲折あって。
 まずね、お茶碗を、標準サイズのに買い換えた。
 これね、どんぶり飯派には、けっこう勇気いるのよ。
 それから、フライパンを片付けた。
 ちょうどBSE(狂牛病)騒動のころだったから、事実はどうであれ、それを自己暗示に利用して、牛肉を断ったのだ。
 その暗示の流れで、ファーストフードもやめた。
 ごくたまに豚肉を食べたが、さっと湯がいて脂をとったうえで使った。
 ちょうど幕末モノの小説にはまっていたころだったので、暗示は、それをも利用した。
 自分の何倍も活躍した彼ら志士たちの、当時の質素な献立に、自分の燃費効率のダサさを比べて自虐するのだ。
 俺の馬鹿っと。
 豚っと。
 馬鹿豚っと。
 豚も牛も、幕末ではゲテモノ食い扱いだったのである。
 ならば馬鹿豚なんてもってのほか。
 鶏だって、めでたいことがあったとき。遠方から客人が来たときに、庭に飼っているのの首をひねるという。たまのご馳走だった。
 魚だってせいぜい干物がメインだっただろう。
 となれば、この燃費の悪い闇生だ。鶏肉は、食べてもササミぐらいにしとけと。
 たとえ腿でも、かならず脂身をちぎり取れと。


 さて、
 そんなこって、83キロから65キロへとカムバックはできた。
 が、そんなこったから、代わりに大人の味覚を大きく置いてけぼりしてしまったというわけなのだ。

 
 けれど、そんなバカ味覚のおかげで、何食ってもうまいという、どうやらおめでたいことになっているようで。
 仕事は長年、バトンタッチのローテーション。
 人件費削減の意味もあって、勤務時間がそれぞれずれており、同僚といっしょに帰るということがない。
 同じ社員でも、互いに昼夜が逆転しているのだ。
 だもんだから、帰りに同僚とちょいと一杯、なんてことにはならないのだな。


 しかし、それじゃあさすがに味気ないと。
 今の店の社長が、年に一度だけ、全員を食事に招待してくれる。
 今年は、いつもの米沢牛のステーキ店ではなく、知人が立ち上げた焼肉店だった。
 牛肉を断っているとはいえ、付き合いは別。
 そこはひとつ、社交の空気を尊重する闇生なのであーる。
 というか、そういう日のために、普段は断っている。ということにしておこうではないか。


 さあて、わあわあ言いながらたらふく肉を喰らった我ら少数精鋭。ゲップの音も高らかに店をあとにしたエロ屋の面々なのであったが、そのご満悦な帰り道で、年長の先輩がしみじみとこうもらすではないか。


「あんまり美味しくなかったねっ」


 こともあろうに、社長に向かってだ。
 あたしゃ、言葉を失ったよ。
 ご馳走になっておいて、それを言うか。
 あとになって、あの場に居合わせた別の同僚に、その話題をふったところ、彼も年長者に同意見だと。
 正直あたしゃ、肉の味どころではなかった。
 他人と飯を喰うという緊張感と、全体の会話の舵取りで精一杯。
 おりこうさんぶるつもりはないが、「うまかった」という感想よりは、「楽しかった」が勝っていた。
 賑やかで。
 で、思ったのだ。


 俺、味音痴で、かまわんわ。


 後日、食事のお礼を社長に言うと、案の定、ご機嫌ななめで。
 食事会は、余計なお世話だったのかなと。
 ちなみにいえば、その年長の先輩。食事会の直前に、大人のゲンコツ大のモンブランケーキを、あたしに差し入れてくれていたのである。
 三十分後に閉店。さて、そのあと待ち合わせて焼肉に、という直前にあんなでっかいモンブランて。


 ううむ。
 ううううううむ。
 唸りますよ。そりゃね。

 
 ここでおもむろに冒頭の黒澤の言葉にもどる。
 実はこれ、納豆の食べ方についての流れで語ったものなのだ。
 一流のものを作るには、音楽でも、料理でも、一流のものに触れていなくてはならんと。
 そうしたうえで、納豆にごちゃごちゃといろんなものを混ぜ込むのは、いただけないとしたのである。彼は。
 なんでも、ネギすら入れないのだとか。
 巨匠は味覚を、そういう視点で考えているらしい。


 で、納豆。
 みなさんどうやって食べていますか。
 実はあたしの故郷は、納豆で有名なあの街の、近く。
 だもんだから、物心付いたときには、食卓には欠かせないものになっていた。
 そんなあたしなのだが、食べ方は極めてふつうだ。
 付属のマスタードとたれ。それに刻んだネギをあえるという。
 ただし、標準と違っているのが、かき混ぜないということ。
 意外でしょ?


 昔は家族で朝食となれば、納豆もファミリーサイズでまとめてかき混ぜたものだ。
 数パックぶんを、大きめの鉢に落とし、その上にたっぷりと刻みネギを盛っておいて、親父が豪快にぐりんぐりん、やる。
 やがてそれは、かっ、かっ、かっとなる。
 挙句、そのネバ具合を確かめるように、持ち上げたりする。
 どうだ、と。
 子供心に、それがどうにもいただけなくて。
 もういい、もういいと。
 わかった、わかったと。
 糸をひいて、またたくまにそれが束になって、ゲル状になり、やがて茶色い気泡がたちはじめると、


「TOO MUCH !」

 
 ダメだったのです。
 だから、上京してひとり暮らしになり、納豆を自由に弄れる身分になると、その反動が出た。
 マスタードと、たれをかけたら、箸の先っちょで、ちょちょいちょいっ。
 優しく小突くのだ。
 かたまりをほぐすぐらいにしておいて、すぐにご飯にのせた。


 これこそ納豆ご飯の極意である。


 と、固く信じて長年揺るがなかったのであるが、実は数年前に、変った。
 あっさりと転向した。
 あのネバネバの糸にこそ、重要な栄養分があるとか、ないとか。
 血液の凝固を防ぐなんたらが含まれているとか、どうだとか。聞いたとたんに、かき混ぜるようになった。
 そんなものである。
 あたしの味覚なんざ。
 薄っぺらい。


 けっ。


 ひとしきり、すねておこう。
 けれどね、メジャーでありながらこれだけはやめてという納豆の食べ方があって。
 それは、今もずっと変らなくて。
 故郷にいたころには、決して見かけなかった食べ方なのだ。
 それを初めて目にしたのは、上京したてのころ。
 頻繁に通った吉野屋で。
 となりの席でいそいそとおっさんが朝定食をとっていて。
 問題のブツはそのおっさんのトレイの中に、あった。


 はじめ、ゲロかと。


 おっさん、あわてて器にもどしたのかと、思った。
 店員を呼んでやるまえに、もう一度、まじまじと見た。
 やっぱゲロにしか見えなかった。
 でも、おっさんは、食べ続けている。
 しかもすこぶる元気そうに。
 と次の瞬間、おもむろにそのブツをご飯にかけるではないか。


 ブツの正体は、溶き卵に混ぜ込んだ納豆だったのである。


 黄濁色にぶつぶつと茶色い何かが…。
 醤油の黒もあいまって。
 配色的にも、凶暴、極まり無し。
 これはあれだ。
 野獣だ。
 チータだ。
 それがけっこう当たり前な食べ方らしいと、知ったのはのちのことで。
 が、今でもあれは、公共の場に晒してはいけないものではないかと。
 そう信じている。
 というのも、小学校のとき、授業中に同級生が吐いて。
 机の上を流れ落ちるそれが、まさしく、溶き卵の納豆だったのだ。


 いや、
 いかん、いかん。
 そんなトラウマ・オチで片付けては。






 げにおぞましき納豆の豹柄。
 黒澤なら、はたしてなんと評したのか。






 ☾☀闇生☆☽

 

 納豆をかき混ぜるときの定番ギャグといえば、Mie(未唯)の『Never』だった。
「ねばねばねばえばねばねば…♪」
 くだらんが、これがまたねばねばと、耳に残ってしつこいんだ。