壁の言の葉

unlucky hero your key

肖像。

Yamio2008-06-07


 おだやかな一日ですね。
 日がくれて、風が出てきて。
 どっかで赤ん坊がだだこねてます。


 ところで、
 まったくもって時代おくれながら、あたしゃケータイを使わない。
 上京したばかりのころ、風呂なし、トイレ共同の四畳半に住んでおった。
 むろんそのころにケータイは一般化しておらず。
 一般化しようにも、あまりに高価で、
 でもってなんせ、でかかった。
 
 
 そのころのケータイのふてぶてしいばかりのサイズは、今でも映画『マルサの女』で確認ができる。
 査察の捜査員が本部とのホットラインとして使うショルダータイプとして、一瞬登場するのである。
 知らない人は、リーマンが肩がけにしているブリーフケース。あれのひと回り小さいのだと思ってくれていい。
 ごっついんだ。
 あれを本体として、上に受話器が乗っかってんだ。
 あれじゃかえって目立ってしかたがないだろうに。
 とまあ、そんな時代だもの、持っていないのがあたりまえ。
 我が貧乏アパートにはたった一台、二階の共用廊下にピンクの公衆電話が設置されてあったのである。


 なんせ共用。
 でもって住人は揃いもそろってみんな若く、貧乏で、お盛ん。
 ホストやってた奴もいたのだから。
 んな連中が、寄ってたかって奪い合い、使いまわす。
 色気づいて長電話で占有しようものなら、顰蹙をかってしまうわけで。
 となれば、若さゆえにそのストレスは殺気だってしまうわけで。
 そのイライラを、陰気に隣から壁なんぞ蹴られて示された日にゃあ、結構ひきずるわけで。
 にもかかわらず執拗に平和を模索するその過程で、暗黙のマナーができあがっていくのである。


 先方からかかってくると、電話の近くにいた住人がそれに応対し、インターホンで当人を呼び出すシステムである。
 まあ、
 かけるほうからすれば、取り次いでくれる人にひとことのエクスキューズくらいはほしいもので。


「夜分にすいませんが」


 こんな謙虚な常套句も、いまや聞かれなくなって久しい。
 ケータイによって互いに直(ちょく)な関係となってしまったせいで、謙虚なんざ死語である。
 だれが殺したかしらないが。
 当人が留守なら、電話があったことを記したメモを、そのドアに貼りつけた。 
 伝言があれば、それもメモで伝えた。

 
 それはともかく、


 その頃もこの男に電話がかかってくることは、滅多に無かった。
 稚拙ながら当時はバンドを組んでいて、友人もいるにはいたが、かかってこないんだな、これが。
 

「お前んとこは呼び出しだから」


 かけづらい、と。
 そうそう、その頃まで、たとえばビデオ屋の入会申込書の電話番号欄には、
 (呼)
 そう但し書きする選択肢があったもので。
 これも今や無くなったね。


 そのオンボロアパートが唐突に取り壊されることとなり、口八丁手八丁、まんまと立ち退き料をせしめた闇生は、はれて風呂付のアパートに引っ越したのであーる。
 となれば、電話が欲しい。
 自分だけの、電話が。
 さっそく契約、購入、設置、開通。
 

 貯金をはたいてまでそうした意味は、まったくといっていいほど無かった。
 無念。
 待てど、暮らせど、リンとも鳴らない。
 ウンともスンともいわない。
 ここへきてようやっと分かった。
 「呼び出しだから」は連中の方便であり、優しさだったのだ。
 要は、こちらの魅力が原因なのである。
 んが、
 いいわけするわけじゃないが、(旧)友人たちはなぜかしら、ふられたときにはこのあたしを呼びつけたのだ。
 まるでオノ・ヨーコと別居したときに、ジョンがリンゴと飲み歩いたごとくに。
 リンゴ・スターなら、悪い気はしない。
 いわば気晴らしの賑やか師としての需要は、かろうじて残っていたらしい。
 馬鹿やらかすのは得意だったから。
 いまは、単なる馬鹿。


 それが証拠に呼びつけられるばかりで、こちらの願いには、いっこうに


 んなこた、どうでもいい。
 身の丈の外の話だ。
 でね、
 拙くも小説を書き続けていて、
 それはノートに鉛筆でひまを見てはずっとやっていて。
 それがいつしかワープロになって、
 そのワープロが壊れて買いなおす段になったとき、世間はすでにネットの時代。
 ワープロ専用機なんざを買うならば、と調子こいてパソコンを買ってしまった。


 これがいけなかった。
 ネットによって世界の広さとダイレクトになった分だけ、己の矮小が、輪をかけて沁みてくる。
 痛いのなんのって。ええ。


 まあいいや。
 そんなこんなですよ。あたしなんざ。
 この流れで身の丈の学習ができた。
 んで、結論。
 ケータイはいらんなと。
 持ちあるったって、俺にとっては、重いだけだろうと。
 そう高をくくっていたら、あにはからんや
 連絡がとれんわい、と実家の親からプレゼントされてしまったのである。


 むろん、
 部屋に置きっぱなしで、固定電話のごときである。
 ケータイである意味がない。
 ほこりをかぶって、亀のようにうずくまっているばかりだ。
 ときどき実家に安否の交換をするとき以外は、手にしない。
 

 でだ、
 そのケータイだが、
 今日、ふとカメラの機能がついていることに気がついた。
 この男、友だちがいないぶんだけ、自分の写真がない。
 おもえば学校卒業以来、免許用に撮ったのくらいである。
 これでは、なにか事故だか事件だかの理由で写真が公開されるとき、いい歳こいて哀しくもガクラン姿になってしまうではないか。
 まあ、
 人様に見せられる外見なんざ、鼻毛の実ほども持ち合わせてはいないが、ガクランはどうかと。
 そう考えて、カメラモードを呼び出してみたのである。




 壊れていた。


 上の画像が、そのケータイで撮った闇生の近影である。
 おやすみなさい。



 ☾☀闇生☆☽