通勤は、勤務先の最寄駅ではおりない。
闇生はあえてひとつ手前で下車して歩くことにしている。
でもって、音楽と風景をむさぼってやるのだ。
出勤したら最後、休憩以外は缶詰となるのだし。
また銀行でつり銭をつくる用事もあるのだし。
それはともかく、そのひとつ手前の駅でのことである。
ちょくちょくそこのトイレには厄介になるのだが、その日も我が内なる『小』を解き放つべく、立ち寄った。
その駅のトイレはスタンド便器が十あまり。
ストール(床置き)型小便器というやつで、ずらり横一列である。
冬の朝の、なおかつ平日だもんだからこの日は大盛況。
ほぼ満席であった。
けれども、右端の一台だけがなぜだろう。空いている。
先客がそれを見つけ、せっかちなことに着ぶくれした前をほどきながら歩み寄っていった。
位置につくや構えの体勢。
ところが、いざ放水となりかけて、おおおっと腰を引くではないか。
「退避っ!」
おりよく空いた隣の台へと忌々しげに移動する。
結果、またしても右端が空く。
仕方ない。小生が、なにごとかと覗いてみると。
あにはからんや。
そこにあってはならないものが、あるではないか。
いうなれば、不幸。
顔をそむけたくなるような物体としての哀しみが、そこに鎮座ましましていた。
あれはいったい何にたとえたらいいのだろう。
おたまいっぱいの、インド的な。
なんか知らんが『表面張力』していた。
大は小をかねるといふ。
しかしながら、小は大を受け止めかねて…。
私は、問う。
なぜなんだ、と。
なんかプレイ的なものなのか、と。
もしくは前衛芸術のメッセージなのか、と。
ふと見ると、個室の空きを待つ長蛇の列が。
『大』なるものを開放したいのか。
あるいは解放されたいのは自身の方なのか、順番を今や遅しと待ちわびている。
列をなしているのは、寸刻をあらそうイライラそのものに違いなく。
そうだったのか。
わたしは瞬時にして覚った。
この捨て置かれしナニの、その持ち主の不幸を。
時節柄、きっと昨晩あたりは新年会で、そこでしこたま飲みすぎたのだろう。なんせ、
インド的な。
それが、満員電車にまもれているうちに、レジスタンスをおっぱじめやがった。
そうに違いない。
制圧側と、解放運動側とのあくなき攻防の果て、
「せめて駅のトイレまでは待ってくれないか」
譲歩した独裁者はそう公約したに違いない。
急激なる開国は、その反動のほうがこわいんだぞ、と。
キミたちにその覚悟はあるのかしら、と。
で、
どうにかなだめて駅についた。
階段の振動にも耐え、トイレにも到着した。
ところがだ。
そこにこの長蛇の列である。
彼のあたまに絶望のふた文字がうかんだだろうことは、想像に難くなく…。
んが、彼はしぶとく希望を抱いたはずである。
いわずもがな、それが生きるということなのだから。
即座に違うトイレへのルートと所要時間を計算する。
「間に合うか?」
たとえその行程を耐えきり、ウンよくたどり着けたとしても、そこもまた満員だったとしたら。
ばかりか、ここよりも列が長かったら。
ましてや故障中だったら。
ならば、ここで並んで待つほうがまだマシではないのか。
ギャンブルするか、否か。
むろん違うトイレが空いているという彼の理想には、なんの根拠もなかった。
「現実感覚のない理想主義は手に負えない。
けれど、理想のない現実主義はもっとたちが悪い」
(宮崎駿)
目の前にはトイレ。
そして、居並ぶ彼らイライラたちのあたま数。
確かなのはそれだけで。
んが、
少なくとも言えることは、この列はこのあと減る一方だということ。
決して自分の前に増えることはないだろう。
ならば、列を『こんなに』いる、と解釈するか。
『これしか』いない、と解釈するか。
楽観か、悲観か。
彼はあくまで、現実の理想面にかけることにした。
逃げずに、独裁者としてコトに殉じようと。
「絶望ほど、希望を生むものはない」
けれども、そんな大人の事情など露知らず、業を煮やした『大』運動家たちは暴れだすのなんのって。
「公約を守れ!」
その一秒をこそ、永遠と呼ぼう。
「希望ほど絶望を生むものもない」
永遠を敵にまわせるほど、人間というものは強くない。
かたじけなくも、矮小だ。
宇宙の塵となんら変わらんではないか。
独裁者が塵ならば、レジスタンスなど屁の河童である。
自由?
それがなんだろう。
そんな自己暗示が間に合ったのかどうか。
あるいは、あとの祭りでつぶやいた言い訳にもならない言い訳だったのか。
気がつけば恥も外聞も、ズボンとパンツとひとまとめにずり下げていた。
床にぶちまけるよりはいいさ。
ああ、そうさ。
列をはずれ、
もっとも奥まったところの小便器へと駆け寄った。
「そんなに自由が好きなのかい?」
つぶやいたかどうか。
あたまのなかで鳴り響くのはBorn To Be Wild♪
そこ退け、そこ退け、自由が通る。
きっとその表情は、笑っていたことだろう。
「派手にいくぜぃ!」
でもって、
No Border!
開国の砲声と咆哮は、
きっとイライラの列をいっせいに振り返らせるほどに、高々と――。
それはもう、高々と。
ついでに記しておくが、
そのインド的なものに、紙的なものは付せられていなかった。
はて、どうしたものか。知るべくもないが。
実は、出くわしたのはこれで二度目である。
先日、後輩が目撃した駅前路上のブツには、ブリーフが一丁、哀しく添えられていたといふ。
はなむけ、と。
そう解釈しておく。
それはともかくとして、掃除の人、大変だろうに。
と同情もする。
まあ、床にされなかっただけ、まだマシと考えるしかないか。
後日、
自分がその犯人を男だと決めつけていることに気づく。
決めつけは、モテない。
きっと女子トイレが満員で、待ち切れずに男子トイレに駆け込んではみたが、こっちも満員で。
ええいままよ、とばかりに彼女は…。
とは、
エロDVD屋ならではの妄想なのか。
なのだ。
ただね、
超えるか否かの一線。
これって、民族性もあるのかなと思った。
公衆トイレの『大』に、衝立がない国があるというし。
☾☀闇生☆☽