壁の言の葉

unlucky hero your key

 今朝の産経新聞の漫画『ひなちゃんの日常』は、えかったねえ。
 三歳の幼稚園児ひなちゃんが主人公の、毎回八コマぐらいのエピソードなのだが。
 そのパパが今日はカッパを着こんで「雨の日の探検いってきます」と、ひなちゃんと雨のなか散歩に出かけるのね。
「お。カエル発見っ」なーんて二人でやってる。
 ひょっとすればでんでんむしも見つけるでしょう。
 なんと素晴らしいパパかと。
 雨ゆえに、散歩。という発想。






 日本に住む以上、一生のうちの少なくない何分の一かは、雨だ。
 これはどーしよーもない。
 降るなっつったって、降るんだ。いつかは。
 古来その恵みに育まれてきたのだし。
 それを端からネガティヴにとらえていたのでは、人生の何分の一かを損しているわけ。
 そもそもがゆたかな四季と、
 命を与えもするが奪いもするシシ神にもまれて育った国ではないのか。
 もとい、
 そんな台風にもまれてきた国ではなかったのか。
 たかだか雨の愉しみかたくらい、身につけてなくてどうするよ。おい。
 先日の雨の通勤電車でも、あれだよ。出入り口の袖を占拠する、いわゆる『こま犬』おっさんがいたのね。
 揺れるたびに触れてしまう目の前の初老のじいさんを、舌うちで睨みつけていたよ。こま犬。
 いまどき珍しい例の、足元から睨みあげていく古典芸能で。
 もはや漫画のなかにしか存在しない「うんこ座りの不良」である。
 朝から頑張ってんなあ、と思ったね。
 思うでしょ。
 黒澤明の『どですかでん』的にいえば「骨が折れるだろうから、こんどは私がかわってあげましょう」的同情である。
 んなこったから、あたしの頬がゆるんでいたのだろう、ついでにあたしも睨まれちったわけ。
 不意打ちで、二度も。
 なにイライラしてんだか。
 そこに丸出しとなったケツの穴のナノっぷりったらないわけで。
 睨めば睨むほど、こっちはおかしくてしょうがない。
 ナノっぷりが。
 満員電車で、たかだか揺れて触ったかどうかの件よ。
 老いて踏ん張りのきかなくなったおじいさん相手によ。
 仮にその渾身の睨みでじいさんが怯んだところで、何?
 何なの?
 隠しレアアイテムとか、ゲットできんのか?
 最強の武具とか。
 

 あたしゃおっさんだから、おっさんらしく決め付けよう。
 雨の日は訳も無く苛立って、猛暑になれば頑極まりのクーラー無しにはやってられず。といった半生で大損ぶっこいてきたクチだろう。この手のは。
 雨が降れば苛立ち、
 雪が降れば凹み、
 暑くなればげんなりして、
 寒くなれば塞ぎこむ。
 ひなちゃんのパパのようにはいかない。
 あんないい嫁さんもらえない。
 ましてや、子供とともに世界の深く広大な楽しさを共有できっこない。
 せいぜい目の前の年寄りあいてに舌打ちして睨みつけてる人生。
 その一点が、こま犬人生のクライマックスだ。
 




 
 ちなみに『ひなちゃんの日常』
 一時期、ひなちゃんを通して作者が大人の倫理観を主張していることが目立っていた。
 厚化粧の女子高生に首をかしげる三歳児。
 言葉遣いの粗暴な若者をたしなめる三歳児。
 あたしゃ密かにその頃を『世直しひなちゃん』と呼んでいた。
 ひなちゃんを使って作者が主張している。
 それとは一転、ごく初期の頃は、子供らしいひなちゃんの『ボケ』がさく裂していたものである。
 ママのブラジャーをウサギの耳にみたててかぶってしまったり。
 八百屋の店頭に網の座布団を穿いて居並ぶ桃を、ローライズからはみ出たお尻に見立てたり。
 そんな、ひなちゃんがひなちゃんとして動いている回こそが傑作であった。
 そこいくと今回は作者の主張には違いないが、願望・理想といったところでしょうか。
 



 ☾☀闇生☆☽