そうのたまったうえで、昨日に続ける。
ことさらえらそーに、やる。
もお、無理しちゃうよ。
その、なんだろ、
面倒なことは誰かが、どこかで、知らない間に片付けていてくれればいい。
肉はたらふく喰らうが、精肉の現場は忌み嫌う。
トイレは使うが、掃除はしない。したくない。
なんていう性根をこそ、この際、トイレ掃除教育で矯正しちゃおうという。
矯正、だなんてオーバーか。
大馬鹿。
でね。
この、自分の手は汚さないできれいごとをのたまう、姑息。
インチキ。
とんちんかん。
その感情の延長線上で、戦争観が養われているということは、案外と盲点で。
戦争観は、それすなわち平和観でもあるのでは。
上のトイレ掃除忌避式でいえば、たとえば自分の国の防衛は、米国兵にたよろうと。
でもって、わが身は平和でござると。
有事の際には、その米国の若者たちに命をはってもらいましょうと。
そんなよそ様の命を盾に、ぬくぬくと命は大切だと、いふ。
反戦と、いふ。
失礼にもほどがあるというもので。
今の我々は、相当にかっちょわるい。
反戦平和のお題目を唱えながらも、戦争と軍事産業で成立している米国に、自由と平和の夢を見ると。
有史以来、かの国が戦争していなかった期間て、いったいどれくらいでしょう。
むろん、戦争の反対概念が平和だとは限らない。
えてして、平和は軍事力に守られているもので。
かなしいかな、そういうもので。
政治も経済も、その後ろ盾あってのもの。
日本の外交の無能・無策には、そんな背景があるわけでございましょ。
それでもまだ、強力な世論(輿論)というものが後押しすれば、つまりは我々が声をあげれば力をもつのでしょうが。
うん。
どうよ。
そこにもまたトイレ掃除式の、誰かがやってくれればいいってな態度が、あるような。
いやはや、
さすがにこのエロDVD屋、分際をわきまえず、のたまいすぎた。
出すぎちゃった。
ゆるされよ。
丸出しの無知は見逃してほしい。
この論理の稚拙ぶりは、アホがおるわいと、一笑に付して忘れておくれ。
んで結局、何が言いたいかっつーと。
なんでもお釈迦様のお弟子に、無学な人がいたそうで。
ブッダは、その相手に応じた言葉で教えを説いたというが、この弟子には、掃除を命じたというのだ。
木偶(でく)の一念と言おうか、
虚仮(こけ)の一念と言ったか、ともかくその弟子はいいつけを守り、くる日もくる日もひたすら掃除をし続けた。
それが何年か知らんが、とにかく、黙々と。
すると、ついにそれで悟りをひらいたのだそうな。
悟り、とまではいかないまでも、日常や目の前の現実は、常に世界につながっているという意識。
それを育むには、いいプログラムだと思うのですがね。
トイレ掃除。
☾☀闇生☆☽