壁を強大な権力に、
そして、それに虐げられる民衆を卵に喩えたあのスピーチ。
その壁の正体もまた、集合して変質した卵であるといったニュアンスが含まれていたと記憶するのだが。
マスコミを通じて、かいつまんで流されたのは『権力VS小市民』の構図としてのものばかり。
まあ、
彼の作品はそれほど読んでいないので、あまり言えませんが。
そして、英語の不得手なあたしですから、尚のことですが。
あれは、かの地でのスピーチである、というところが何よりも重要ですな。
そして、戦地でもないここ日本でそれを聞くにあたっては、先にあげた「壁もまた卵の変質である」とかなんとかいったニュアンス。そこを注目すべきだろうと。
その上で「卵側につく」とした宣言であると。
とりあえず、
ここ、壁の言の葉では、そう解釈してます。
今のところね。
ちなみにあたくしは、
この民主主義の世にあっては文学者たるもの、集合して変質する卵への疑義をこそ、扱うべきかと。
☾☀ハンプティダンプティ☆☽
独裁はつねに民衆の喝采から生まれるよ。