文春文庫
ハムカツ
くず餅
ソーセージ
カレイの煮つけ
ウズラの玉子
ハンペン
カンパン
干し芋
ポップコーン
ポテサラ……といった食卓の脇役たちにスポット当てたエッセイ集。
状況と小腹の塩梅によっては主役にしてやれないこともない。
けれどその本来の魅力を発揮するのは脇役ポジションとおぼしき食品たち。
良い映画は脇役が優れているのと同じであり。
といって、主役級の役者を『友情出演』などと大仰に飾って脇に揃えてしまっては台なしなのである。
脇役には脇役ならではのうまみがある。
主菜と副菜は違う。
それぞれに欠かせぬ役割があるのであーる。
たとえて云うのならばジョン・カザールのような。
ジョン・カザールの主演作がもしも存在していたならば観てみたいのが本音ではあるのだけれど。
そこはやはりアル・パチーノやデ・ニーロといったメインあってのカザールであろうし。
カザールやウォーケンが脇を固めてこそのパチーノ、デ・ニーロの輝きであっただろう。
ポテサラはカザールなのだ。
ポテサラはそれひとつでも具材の配分から粘度の塩梅、味加減に至るまでひとそれぞれに多かれ少なかれこだわりがあるだろう。
けれども舞台がトンカツ弁当ならばだ、トレイの隅っこのあのわずかなくぼみにひと口にも満たない量でちょこなんとするほか術がない。
現に文句ひとつ云わずにちんとして済ましているいるではないか。
その風情、なんともいじらしいではないか。
むろん居酒屋で必ずポテサラを注文する人はいるだろう。
口に合えばお代わりもするだろう。
その気持ちはわかる。
けれどあくまでサイドメニューなのではないのか。
決して丼に盛りあげて食すような代物ではない。
だいいち、ポテサラをメインに据えたポテサラ屋というのは聞いたことがないではないか。
ポテサラ定食やポテサラ丼、ポテサラ弁当というのも聞かない。
ポテサラパーティなどという催しも耳にしたことがない。
ハンペン料理専門店というのも聞かない。
ハムカツ屋もおなじ。
ポップコーン屋ならば、ひょっとすれば海外の映画館内に慎ましやかに存在し得るのかもしれぬのだけれど、仮に在ったにせよそれ目当てに出掛けたりはしないだろう。
その状況でのメインディッシュはあくまで映画なのであーる。
カザールでわかりにくいのならばポテサラはそう黒澤映画の藤原鎌足であり、寅さんの御前さまだろう。
サザエさんのウツボさんであり、NARUTOであれば猿飛アスマ、並足ライドウだ。
スター・ウォーズのボバ・フェットとは云わないまでもジェダイのなかのあの頭のながーいあいつ。彼ににちがいない。
彼らをいつくしむ人が映画を嫌いなわけがない。
可憐でせつない彼ら脇役食品へのその優しい視点が可笑しく、
愛らしく、
そしてその書き手である東海林さだおエッセイこそは、つまりがそういうポジションにあたるのだと思う。
ごちそうさまでした。
☾☀闇生☆☽