決して失ってはならない心の所作だと思う。
— Yamio (@Yamio42529836) July 11, 2023
たとえ日常的な敵対関係でも、論敵や政敵、商売敵に対してであっても。
敵ながらあっぱれの見極めと、礼節。 https://t.co/tWvswPy4NB pic.twitter.com/WOsniquOSj
たとえばこういうエピソードを単なる美談として片付けようとする風潮がある。
装飾されたファンタジーであり現実的ではないと。
所詮はきれいごとだと。
そして戦場では、被災地では、人はもっと業深く残虐になるものだと。
非道なことをしてきたに違いないと。
しかしながらこうも思うのだ。
人がそんなに残虐で非道で狂暴で無礼で薄情な生き物だというならばこそ、これら宝石のような希少な美談を救いあげていくべきではなかろうかと。
なぜしない?
それが緊急時に取り乱したり、なりふり構わず略奪や破壊衝動に流されたり、軽挙妄動、自棄になったりしないためのモノサシになるというのに。
なぜしない?
己のなかの度し難き獣性を抑制するリミッターになりうるのに。
こんなことをしては名が廃ると行いを検め、より美しくあろうとするそのバッテリーになるというのに。
獣と化す人を罵るのならば、それをこらえて自制した人をこそ称賛するのが筋でしょう。
美談は欲望のリミッター。
美談を美談と解釈する、もしくは『したがる』その審美眼はどこからくるのか。
願望でしょう。
そうありたい。そうあってほしいとする目安でしょう。
故人にせめて死に装束と死に化粧を施してやろうという、心の強さであり優しさでしょう。
美談の何が悪い。
☾☀闇生☆☽