幸宏さんの死去がまだ胸の中で整理しきれていない。
それなのに、こんどはその盟友ともいえる坂本龍一の訃報に出くわした。
物心つきかけた頃に知ったので、がっつりと影響を受けた。
初恋よりも先にYMOとの衝撃に襲われたし、そちらの影響のほうが人生において巨大だった。
てか、それしかなかった。
彼がパーソナリティをつとめる深夜のラジオを、夢中で聴いた。
その著作も読み漁った。
考え方を貪った。
関わるアーティストを追いかけた。
有体に云って、かぶれた。
けれど、
のちに物事を知っていくに当たって次第に彼の政治的発言には抵抗を感じるようにもなった。
それは作品の解釈の自由を奪われまいとする意識であって。
自由への渇望であって。
つまり左か右かの話でもなく。ましてや正しい正しくないの話ですらなく。
むろん音楽家が政治的発言をする自由は誰からも規制をうけないし、されてはならないのは理解している。
けれど、ならば感想にも自由がある。
自由を守りたい。
作品はその作り手の思惑をはなれてやっとこさ作品になるわけで。私物ではなくなるわけで。
主義主張というスタイルでは到達できないなにか。それが表現であり、作品だと思う。
ようするに理性では制御しきれない分野にこそ表現の強味があるはずだ。
極論を云えば暴力反対を理性ではふまえつつも、創作に挑めば暴力的な表現に冴える作家はごまんといる。
妻子ある身で同性愛を描くのに深い洞察力を発揮する作家だっているだろう。
それは読者も同じで。
政治や理性に関与されない部分に表現は根ざしているのだから。
なにを云いたいのだか、あたしは。
作品は好きだった。といちいち断りをいれて弔意を表明しなくてはならないのも不幸だ。
世間にはそんなツイートに溢れている。
偉大なる音楽家の死を悼むのにそうしなくてはならない不幸もまた、彼ならではのことだと痛感している。
歴史的にも、政治や社会活動にかかわった芸術家の作品はそういう色眼鏡に、良きにつけ悪しきにつけ、つき纏わられる運命にあった。
長年、その解釈の自由を楽しませてくれた代表曲『千のナイフ』が、あるとき虹旗を振りながら演奏されたことがある。
賛否双方で騒がれたが、あたしゃげんなりした。
残念だった。
当時、まだいまほどあの旗の意味は理解していなかったけれど、
そしてそれは観客のなかにも少なくない割合で同じだったろうと思う。
なんかきれいな旗ふってる。ライブだし、盛りあがるー、みたいな。
作家自らが自作を政治的活動に利用してしまった一幕だった。
ただし、それは彼なりの純粋すぎる正義感からだったのは理解している。
彼の作品のすばらしさについては、書けない。
言葉で表現できないものが音楽なので書けないし書ききれないのは最初からわかっている。
音楽家としてあまりに純粋だった。
高橋幸宏が彼を社交の世界に導いていなければ、そしてYMOのヒットにより商業音楽の世界へと引きずり込まれていなければ、きっとどこかでピアノ教室でもひらいて「暗くて愛想が悪い」などとネットに書き込まれつつもオフ日には現代音楽系の作曲に没頭する晩年を迎えていたのではないか。
つまり埋もれていたかもしれない。
戦メリも東風もシェルタリング・スカイも生まれなかった。
音楽の神様はそれを許さなかった。
おつかれさまでした、である。
ありがとうございました。
YMOにaiを込めて、込めすぎてこじらせて、Yamiつづけてあたしがいる。
あの世には幸宏さんもいる。
ポンタもいる。
ジョビンもドビュッシーもゴダールもいる。
ご冥福をお祈りします。
闇生