お笑いタレントが週替わりのゲストとお酒をのみながらトークする番組が増えているご様子。
あの手の企画の先駆けってなんだったのだろう。
たかじんのBarか。
上岡龍太郎のEXテレビの新年会だか忘年会もあったな。
あの当時、本物の酒を呑んでのトークをするなんて、かなり過激な企画だったと思う。
村上龍のRyu's Barは、本物のお酒ではなかったかもしれない。
酔態をさらしてた記憶は、ないからな。
思い起こせばどれもスタジオ収録だったはず。
現在はやっている呑みトーク企画のねらいは、なんだろう。
低予算が第一なのだろうか。
実際の店舗を使ってのロケも多いから、スタジオと美術のスタッフをおさえてやる収録よりははるかに低予算なのではないか。
すると、自然と面白さの責任は出演者の話術なり仕切りにのしかかってくる。
で、お酒も入ることで「 ぶっちゃけ 」トークにたよる。
でもどうなの?
TwitterなりインスタなりYoutubeなり、個人がメディアを当たり前に持てる時代だぞ。
ぶっちゃけたいヤツは自前でいつでもぶっちゃけることができるし、じっさいそんな情報で巷はあふれている。
あふれるほどにそれらの面白さの打率が下がるのは摂理だ。仕方がない。
となると、いくらタレントのそれであっても、相対的にぶっちゃけの希少価値は下がっていく。
考えて見れば、『 本音 』だなんて当人にすら実体のつかめるわけのない怪しいものをさらされたところで、どうなのよ。
本音なんていくらでも偽造できるし、演出するし、さらにそれが本音であると自己暗示させることもできるのではないのか。
あたしゃね、
プロのプロならではのお話が聞きたい。
たとえば作家とか、学者とか、音楽家とか、画家とか、科学者とか。宗教家とか。
欽ちゃんなら、市井のおっちゃんおばちゃんをつかまえて呑みトークしたのではないかと。
松本人志の『 働くおっさん劇場 』を呑みトーク版として作るとか。
もとが過激すぎて終わらざるを得なかった感があるので、そこに酒をもちこむだなんて無謀か。
バラエティではやはり無理なのか。
聞き手の人選も難しいよな。
昔、談志の番組に小室直樹が出演して対談していたことがある。
それは酒無しのトークではあったけれど、面白かった。
もっと聞いていたいと思った。
著作や講演では感じられないニンゲン小室直樹の魅力が引き出されていた。
まるで二人ともグラスを片手に話していたのではないか、と錯覚するほど和やかであり、なおかつ知的だった。
それは聴き手の談志の手腕とキャラクターに大きく依っていたのであるけれど。
番組的に華が無いというのならば、添えればいいじゃんか。
などと、美人アシスタントをとりあえず添えて置け、という感覚ももはや時代的に遅れているだろう。
テレビはいつだって後追いなのだ。
トークで酒をつかう理由てなんだろう。
フォーマルなイメージの人からカジュアルを引き出すための小道具だろうか。
ならば、芸人ばかりでその場をうめてしまうのは、振れ幅が小さくはないだろうか。
もうちょっと人選に工夫がほしいのです。
闇生