武漢に今夜チャーター機派遣、日本人200人乗せ帰国へ…帰国希望は650人
( 読売新聞オンライン )
https://www.yomiuri.co.jp/politics/20200128-OYT1T50189/www.yomiuri.co.jp
感染への警戒から帰国する人々の輸送手段や検査体制に日本国内が神経を尖らせてしまうのは、致し方ない。
それが人の率直な気持ちである。
しかし、率直は往々にして選択を誤るものだ。
自分の胸にわきおこる「 心から 」にこそ「 心から 」警戒するべきで。
心からの視点にだけ重点をおくというのはとどのつまり自己中であり、それがゆえに安直になりがちで、浅はかなのだ。
そんなもんだ人間なんてもんは。
むろん保身にばかりに感情が働くわけではなく、
逆に作用して偽善から蛮勇にも陥りやすい。
なにはともあれ大前提として受け入れ体制が『 ザル 』では元も子もない。
そこだけは押さえておきつつ、人道優先も現実優先も、液晶モニターの彼方からならどうとでもいえることを自覚しておこう。
んが、
あたしたちには想像力がある。
ただ、観光ではなく現地に根ざして生活していた人たちには、おそらく、というかほぼほぼ必ず現地に友人といえる関係や恋人や、国籍の異なる近親者、仕事の関係者などなど情のつながりがあったはずであり。
そこには想いを馳せておこう。
簡単にいえば「 俺も連れて行ってくれ 」あるいは「 連れて行きたい 」という葛藤に苛まれている人もあるのではないか。
せめて子供だけは、とか。
それを公言するしないの葛藤もふくめてね。
極論をいえば杉浦千畝の命のビザのような、
あるいは没しゆくタイタニック号の救命ボートへのような状況が、心理的にあると思われ。
たとえ冷酷で現実的な政治判断であってさえも、せめてそれを肚におさめたうえで下してほしい。
刹那的な大衆のご機嫌取りしか眼中にない政治家なんぞ、いらぬわい。
これは武漢のなかだけの問題ではないよ。
良くも悪くも関係の長い隣人の危機に対して、同時代人のあたしらがどうふるまったか。
敵に塩を送るのたとえに見られるように、それは後世に残るからね。
その判断は将来、子供たちに胸を張って語れるものなのか。
闇生