壁の言の葉

unlucky hero your key

おっさん女子高生、プー。

 新宿をぶらぶらと。
 14日連続勤務でやつれた心を逃がしに、ぶらぶらと。


 南口ちかくで『Free Hug』と書いたプラカードを掲げたおっさん集団に遭遇。
 掛け値なしのおっさん丸出しである。
 かたや西口まえで、セラピードッグへの寄付をつのる人たちに遭遇。
 かたわらには状況把握もできていなさそうなセラピストらしき犬が二頭、犬丸出しで寝そべっていた。


 どうせならセラピードッグが『Free Hug』を看板にすればいい、
 などと思ふ。
 わんちゃんにはストレスだろうが。
 


 いや、せめてFree Hugを着ぐるみ制にはできないのだろうか、と。
 無粋なことものたまっておく。
 プーさんとかので。
 じゃんじゃん来るでしょう。
 

 けど、そういうこっちゃないんでしょうな。
 あえておっさんを丸出しにしているところをみると、おっさんを抱きしめてこそ意義がある。
 つまりおっさんに意義がある。
 いや、おっさんだろうがおっさんでなかろうがHugをするということに意義がある、という意味においておっさんであることに意義があるのである。
 めっっっちゃかわいい女子高生と無精ひげの腹の出た酒臭そうなおっさんがともに『Free Hug』と呼び掛けて、その日のHugの総計に差が出ないことに意義があるのだよ。
 もしくはプーさんでもいい。
 プーさんと女子高生とおっさんをあえて同価値にみる、というその抽象化運動こそが自他および善悪の境界線をとっぱらい、しみったれた現状を桃源郷と見なす生き方のコツであるのだと。
 そういうメッセージなのだと、あたしゃ受け取ったが。
 書きながら、もうアルコールが回ってきているので、これにて退散つかまつる。


 


 ☾☀闇生★☽