壁の言の葉

unlucky hero your key


 

 そもそも『国民』て、何?
 『大衆』『民衆』『庶民』『人々』『人民』とどう違うの?
 それぞれの定義を彼らはどう踏まえたうえで党名をつけているの?
 国民ってなんなの?
 本当の国民なら、気休めのおもねりの言葉なんかいらんだろう。
 なぜって、
 少なくとも、前世代から現世代、そして次世代へと延々とつなげてゆく、またつなげてきた時間と空間を共有する者たちなわけでしょう? ようするに継続の、とどのつまりが歴史の産物であり、それでいてひとりひとりが歴史の担い手でもあるわけでしょう? 国民てのは。
 このバトンをどうつなげるかでしょう?
 どう受けとったかでしょう?
 今この瞬間だけよければすべてよし、では納得いかんからわあわあ言ってるわけでしょ?

 
 国民てなんなのよ。







 その政治家たちは、本当に国民なの?
 




 ☾☀闇生☆☽
 
 
 取り急ぎ付け加えておこう。
 民主主義、それ自体は善でも悪でもないのでは。
 なんとかとハサミは使いようというように、使い手次第である。
 ここのところ騒ぎになっているイジメによる自殺問題もそんな力学が作用していて。
 考えてみれば、民主主義という多数決制度が無自覚に、そして同調圧力的に、ある種の閉鎖的空間に作用したようなもんだろう。
 大人はみな元子供だ。
 だから想像はつくはずだし、大なり小なり体験だってしているはずだ。そんな空気あわせの場を。ノリを。
 それはだれにかけたられたわけでもない圧力だし、どこか逃げ道として作用してもいたはずなのだ。
 ジャイアンが怖かったから、と。
 みんなそうだから、と。
 部外者が事件から得るべき教訓はこの、雰囲気に流される、もしくは流されたがるその他大勢についてではないのか。
 大衆は責任を拒む。
 責任を拒む者たちこそが大衆だ。
 事件ついて主体的に関わっているとは夢にも思わず。
 思いたがらず。
 付かず離れず、そして仕方も無く傍観者でいたばかり、という逃げ腰の姿勢でありながら、被害者からすればまぎれも無く一票を入れている人たち。
 この票は、重い。
 その子が見つめようとした未来は、そんなポイ捨ての一票一票が積み重なって遮断していったのだから。
 ようするに絶・望とはそういうことなのだ。
 その他大勢の保身的な無関心が生んでいる。
 言うまでも無く子供のうちで起きていることは、社会の縮図であるはず。
 人は、手放しでは成長しない。
 その他大勢への責任が問われないのは仕方のないことだろうが、他方で、社会での有権者や傍観者のふるまいもまたそうなのだということを忘れてはならない。
 我関せずの態度が、どこかの誰かを虐殺している。
 私は誰かを殺している。
 国民の生活がなんたらかんたら党。
 御用聞きなんぞいらんのだ。
 おべっかなんぞ、くそったれ。
 ゆえに、その国民とはなんぞやと、思うのだよ。
 まさか、流されたがりにゴマすって票をかせぐ思惑ではあるまいな。



 ☾☀闇生☆☽