松本大洋原作、マイケル・アリアス監督作『鉄コン筋クリート』DVDにて
原作に出会ったのは何年まえだったか。
そのときの印象は、必ずしも全面的な肯定ではなかった。
正直に言えば、新たな才能への嫉妬のようなものを抱いたものだ。
有体にいえば、ツンデレというやつか。
ちがうか。
作家の、まるで熱に浮かされたような抑えようのないあの、何か。
それが、確かにあったのだ。
凄まじく、あった。
その若さゆえの力に、読み手であるこちらの若さがきっとたじろいだのに違いない。
おなじ孤児院で育った少年二人が、得体の知れない憎悪と絶望にかられて街を破壊する。
世界への反抗。
その点で、村上龍の『コインロッカー・ベイビーズ』とダブっていたし。
そういう視点で読んでもいたので、致し方なしと。
『コインロッカー〜』は、村上が作家生命の勝負どころとして書き始めた作品であったはずで。
三作目で飛翔できるか。
そこに賭けた熱情の密度もまた、双方は酷似していたのである。
ともかく、これはその『鉄コン〜』のアニメ化だ。
ただでさえ松本の絵は、動かしにくい。……よね。
独特のゆがみはもちろんのこと、問題は太さが均一でないこのちぢれた線。
それと『ブレードランナー』〜『AKIRA』路線の延長線上にあると思しき、ごっちゃりした街の美術だ。
その情報量だ。
(余談。初期の『NARUTO』の木の葉の里って、この松本の影響あるように見えるのだが……。どうでしょう。)
そこに充実した子供の時間を生きる松本のはしゃぎっぷりが見て取れるのだが。
これを動かすのである。
ならば、やはり今作のようなCGの扱い方が、必ずしも正解とはいえないまでも、最善といえるのではあるまいか。
欲張っちゃいかんだろ。
原作を忘れているので物語の相違点については、わからない。
すまん。
なのでラストは原作をなぞったのかどうかも、知らん。
ただ、映画としてはすっきりしていないことは確かで。
南の島か。
安直だ。
とりわけ、花で終えるのは蛇足といっていい。
どうしてもあれをやりたがるのだな。
ナウシカからなのか、あれは。
松尾スズキの『キレイ』にしろ、
野田秀樹の『パイパー』にしろ、
こいつをやられると、いつも鼻白む思いをしてしまうのだが。
ナウシカまででしょう。あれは。
その発展形で『もののけ姫』があるわけで。
しかし、
とっくの昔にこの世に絶望したクロが、シロを守るという使命でどうにか生きているという在り方。
そこは、光っていた。
その光度は、道徳を知らず、血を好む少年であるがゆえに、強く輝いて。
闇ゆえの、光り。
それがために、
「俺たちは誰にも尻尾を振らない」
といいつつも、その使命だけは留保するのだな。世界との接点として。
よすがとして。
自分のためにしか生きられないことほど、殺風景なものはないのだから。
闇あっての光。光あっての闇。であるように、クロあってのシロだ。
シロは、守らせてくれる存在なのだ。
後半の彼のすさみ具合は、そこんとこの崩壊にゆえんするわけ。
そして、知能の発育がスローモーなシロ。
彼は、落語でいうところの与太郎だろう。
それも談志のいう哲学者としての与太郎。
かつ詩人でもある。
ネズミ曰く彼だけが、
「たぶんすべての答えをもっている」
という。
そう気づいてあらためると、障害をもつ者や、異能、異相の者に差別の裏返しとして聖性を見ようとするのは、昔からあることらしく。
その観点を見事に昇華させてもいるわけね。
このシロの賢者ぶりを看破しているネズミもまた、もうひとりの与太郎で。
評ぜられる人も人なら、評ずる人も人といったところか。
クロの絶望とはちがった諦観による達観が、イカシテいる。
セリフがいちいちカッコ良い。
『たそがれ清兵衛』で一躍有名になった田中泯を起用したのは、大正解だろう。
あの肺活量のない、倦怠したつぶやきは、彼にしか出せない。
最後に、少女の不在が気になった。
『コインロッカー〜』はキクとハシというふたりの少年が都市を疾走するが、アネモネというヒロインが重要なアクセントとなる。
ところがこのクロとシロのものがたりには、少女がいない。
フツー出したがるものだけどね、作り手は。
『コインロッカー〜』と同系統といっていい『ケンタとジュンとカヨちゃんの国』もまた然り。
異性を入れて関係を三角にしたほうが、安定と不安定を描きやすいのだ。
関係の化学反応のポイントにもなる。
おそらくは11歳という設定上、初恋以前ということなのだろうけれど。
恋なんざ眼中に無いと。
今後のクロの成長を考えると、いつまでもシロと二人っきりというわけにもいかないだろうし。
それもまた気になった。
そうだ、最後に。
『コインロッカー〜』にも、そしてこの『鉄コン〜』原作にも溢れていた粘度の濃い熱情。
少なくともそれに溢れたアニメであることは確かだ。
原作への愛にも満ちている。
追記。
冒頭のシロは、忍者のような運動能力。
ビルの壁面を猿のように登っていく。
なのに、
後半で追われるときは、ひたすらもたもたと駆けるだけである。
なにゆえ?
手に汗握って、いらっとした。
シロが好んでつかう「心」という言葉。
あれは「心」という言葉を使わずに、それを表現させたほうがいい。
感覚で生きるシロにとって、そんな賢しらな概念は、お仕着せで、じゃまっけ。
銭湯の脱衣所の象。
あれは空想の中にいきるシロを描いていて。
なのになぜか足音がなまなましく。
観客をシロの世界に半分足を突っ込ませている。
そんな、映画内現実との曖昧がおもしろい。
あの線をもっと発展させるべきではなかったのかな。
クロの声。
シーンからシーンへのテンションの流れにムラがあるように思えた。
器用であるがゆえのムラなのだろうが。
コスチュームがころころ変わるのだから、そういう意識の流れは通したほうがよい。