名曲『夏なんです』からしてそうなのだが、
細野さんの、
いわゆるトロピカル路線と呼ばれたあたりの名曲群。
その曲想の基点として、
暑さへのおおらかな肯定があると確信しているのね。あたしは。
心頭滅却すれば火もまた涼し、
という自己暗示でいこうぜ、ではなく。
気力やらで暑さに立ち向かうという対決姿勢とも、ちがって。
熱地獄の朦朧とは、ハイであると。
拒まず、受け入れちゃうんだな。
苦痛さえもね。
んなこと言われたって、なぐさめにもならんよってか。
なによりトロピカル路線のころとは時代がちがうし。
暑さの質が違うのだ、とな。
とはいえ、だ。
んなこと言ってったってしょーがない。
んでもって知ってんだ。あたしゃ。
十年、二十年もたてば、
たかだか夏の節電の労苦を、
さながら名誉の負傷をなつかしむように、
若い世代に語るのを。
きっと笑って話せるだろうことを。
ちと、かっこつけた。
言葉は過去にはとどかない。
それは過去からのみ、とどく。
とどのつまり未来にしか届かないということで。
届けられないということで。
ならば、
我々はこの経験からなにを言葉に換えて未来への土産とするか。
それこそが問題なのであり。
さらにかっこつけて、尻切れトンボである。
ざまみろ。
野田秀樹の芝居(贋作・桜の森の満開の下)に、こんなくだりがある。
突然の夕立に襲われると、
人々は右往左往して騒乱状態になる。
ところが、
軒下に駆けこんで雨からのがれると途端に笑い、
「いやあ、まいった、まいったあ」
と得意げにそれを話すのはなぜだろう。
それが不思議だと。
けど、その不思議が人の強さでもあり、
図太さなのでもあり。
……と、さらに背伸びしすぎて、
ずっこけた。
なので身の丈の話。
ケービのバイトは毎日が初対面の連続。
暑さは、会話の取っ掛かりとして、重宝するのです。
☾☀闇生☆☽