川崎大師。

 チャリで川崎大師へ。


 朝食は前日のごはんの残りを雑炊にする。
 玉ねぎとぶなしめじを刻み、生卵をおとしてめんつゆで味付けした。
 チョンガーのやっつけ飯である。


 十時過ぎ出発。
 多摩川のサイクリングコースの南岸をくだる。
 談志の『らくだ』を聞きながら。
 ふと、思った。
 先日ここに書いたような地域のクレーマーというのは、らくだのようなものではないかと。
 なにかといえばつっかかって歩いているよーな奴で。
 入れ墨をちらつかせては誰彼かまわず凄んでみせいる。
 周囲には嫌厭され、できるだけ関わりあいをもたないように距離を置かれている。
 そんな奴が仮になにかでぽっくりと逝ったとすれば、現代でも周囲はこの噺のようにはしゃぐのだろうかと。


 案の定、駅周辺は参詣客で混雑。
 けど混乱はしていない。
 交通安全祈祷殿への道はお祓いを待つ車列が長蛇の列をなしていた。
 んが、クラクションひとつ聞こえない。
 いらだってはいないのね。みんな。
 何時間待ちなの? あれ。
 ほとんどの枝道に進入禁止の標識が臨時で設置されていたのは、わり込みを阻止するためなのでしょーか。


 参道には露店が軒をならべ、歩行者はセンターラインをはさんだ一方通行。
 すし詰めとなった参拝客の行列は警察の警笛を合図に小わけにされて入場する。
 山門と本殿前に警備員たちが立ちはだかっていた。
 彼らの役割は遮断機である。
 彼らがかかげるプラカードには進入禁止のマークと『お待ちください』の文字があり、裏には『お進みくださーい』とあった。
 この進ませるほうだけが『さーい』と伸ばしているところがミソ。愛嬌があるのだよ。
 連中はこれを合図にあわせて引っくり返し引っくり返し誘導している。
 その都度ロープで遮断するわけでもなく、目立った混乱もおこらないところは並ぶことが文化になっている日本らしさというべきか。
 べきだろう。
 感心感心。
 この待ち時間に周囲の会話に耳をすましてみた。
 みんなこの混雑もふくめて正月というイベントを楽しんでいるではないか。
 カップルも家族づれも顔をくっつけて変顔の撮りっこなんかしている。
 少なくともぶーたれている奴は、いなかったな。


 参拝し、露店でイカの姿焼きと串焼きの肉をふたつずつ買う。
 ひとつはその場でいただく。
 もうひとつは晩酌用である。
 で毎度思ふのだ。ああいうのはみんなでその場でいただいてこそではないかと。
 なんせあの賑わいである。ひとりだとベンチなんかも気兼ねしてしまうのだな。
 なので、すみっこで立って食ったったよ。
 古賀政男銅像の横で、おっさん、立ち食いしたったわ。
 ゆったりとベンチに座を占め、賑わいを肴に缶ビールをやりながら一人をたしなめるようにならんと。
 


 参道とその界隈の賑わいを見渡して、弘法大師の数多ある功績のひとつとして、この経済効果は見逃せないだろうとしみじみ。
 たとえば秀吉がその死後、政権交代を経てもなお大阪で神格化されてきた理由は、まさにそれあってのことだろうし。
 しかも何百年つづいてんだか。


 参道のあちこちに、例によって黒地のプラカードに聖書のことばを書いた人たちが立っていた。
 今年はどこも外人さんがつとめている。
 これもいまや正月の風物詩といえなくもない、よね?
 で、これを許容してしまう我々ニッポンジンの宗教観のおおらかさ(言い換えればゆるさ)は、国際的にはやはり珍奇なのだろうか。
 誰もからんだりしてしないし。
 たとえばモスクの前で他宗教の勧誘や宣伝をして、それがゆるされているようなものだろう。
 それはあたしたちが肚の底の価値基準の、そのまた底の底のほうに、生まれも成り立ちも、はたまた生国すらそれぞれに違う八百万の神々をおさめてきたからではないかと。
 かくいうあたくしがこの日の午前零時に近所の神社に参詣したばかりではないかと。
 主祭神少彦名命でござった。


 呵々。


 DJポリス。女子。櫓の上からご苦労さまである。
 正月気分に水を差すことのないよう明るく丁寧に、して明確に、同じ文言をくり返していた。
 ときに手を振ったりしてたね。


 復路もチャリで談志を聞く。
 多摩川下流に行くほど両岸にブルーシートの小屋が目立つ。
 河畔の公園には凧揚げを楽しむ家族連れが少なくなかった。
 サックスの練習にはげむ女子を発見。
 いいじゃないですか。元日から。周囲に流されず。
 ジョギングやサイクリングに汗を流す人も多い。


 ことジョギングをするひとというのは、客観的にみてどのくらい継続しているかがわかりやすいよね。
 ランニング・フォームの問題もあるのだろうけれど。
 それとは別に周囲の視線が気になっている段階というお人は、かえって目立つのだ。
 役者と同じ。
 戦うべきはまずは自意識。
 とくに女子。
 あれじゃランニングそのものを楽しめないだろうに、と。
 自意識からある程度解放されてからが、おもしろくなってくるよ。
 で、愉しまないことには、続かない。





 さて、二日はどこに参詣しようかな。


 ☾☀闇生★☽