『破門』感想。

松垣 透著『破門 ただ今、落語家修行中』リム出版新社 読了




立川談志の弟子たちを追ったドキュメント。
破門になって廃業したものもいれば、師匠をかえて出直すもの、ひきつづき破門を解いてもらって談志のもとに居続けるもの、ひと口に弟子といってもさまざまだ。
ここには天才肌や優等生は一切登場してはこず。
取り上げられたすべての若者が二つ目までの道のりでつまづき、しくじっている。


有名な『落語とはニンゲンの業の肯定である』とは談志流の定義であり。
それは、ニンゲンというものはそもそも駄目で、バカな存在なのだから、そういう弱い部分を笑いという形で認めちまおうというスタンスだ。


ならば、そんな駄目ニンゲンの最たるものである落語家を目指す弟子たちこそロクでもない奴というわけで。
……とは巻末に付された家元談志のお言葉。
つまりロクでもない奴を題材にするということ自体が落語の了見にかなっている。
うむ。その着想はヨシと。
んが、駄目な奴を額面通りに駄目な奴とみなす上から目線だけでは、落語は成立しない。
肯定がいる。
その「肯定」感が、本書には希薄でなのあった。
よって談志のいう『業』というニンゲン臭さは迫ってこない。


おそらくは料理の仕方を誤っているのだろう。
あるいはアイデアに技術が追い付かなかったのか。
まず、対象に対する書き手のポジションが明確でないのね。
むろん取材者として、家元にも弟子にも感情移入をせず、透明人間に徹するのがドキュメントの理想なのだろうが。そうでもなく。
弟子の内情によりそったかと思えば、談志の代弁もしようとする。
ときに筆者として弟子たちの駄目っぷりを指摘したりもする。
少なくとも筆者としての考えを出すならば、そのまえにまず筆者というニンゲンを登場させるべきではないのか。
ひらたくいえば、登場する以上はすべて「キャラを立てろ」ということ。
どうもこの顔の無い筆者の上から目線が、あたしには鼻についた。
スポ根ものや浪花節的な観点でお涙を誘うのかと思いきや、それも薄いし。


まずセンテンスがまずいのね。
とにかく読みにくい。
先日もここに書いたが、「 」の発言者が不明であったり。
効果のない重複や、主語の在処がわかりにくい文があまりにも多い。
結局は、そんな一文一文の詰めの甘さが積み重なって「つまらない」になっているのだと思う。
結局のところニンゲンがまるで浮かび上がってこなかった。






浮かばれない。
料理しそこなわれた『業』たちが浮かばれない。





☾☀闇生★☽