そんなこと言いだしたら、そもそも『自分の名前』とされている姓も名も、大多数の人が自分でつけたものじゃあないのだ。
さらに言えば、名前ってのは自分(個)を示す名称であってね、同時にそれはそれと関係する他者(公)のものでもあるのよね。
個ってのはワタクシと公の境界線であって、
双方が共有する部分であって、
行きつ戻りつ、持ちつ持たれつ、
束縛と抱擁を兼ねる卵の殻のよーなものだからして。
ましてやこの問題は『姓』である。
ワタクシではなくチーム名についての問題だ。
平たく言っちまえば国家への登録上のことに過ぎない。
だからそんなに嫌なら芸能人や作家やブロガーやYoutuberのように、自称や筆名をつければいいだけのこと。
それが認知され、広まるように『個』を鍛え上げればいい。
その昔、国鉄の民営化にともない、その名称(愛称)を『E電』と名づけたことがあった。
んが、定着したのは『JR』である。
東京ドームはビッグエッグと呼ばせようとキャンペーンを張っていた。
ラッツ&スターは『シャネルズ』で世間に出たが、諸事情によって改名を余儀なくされた。
自分たちでつけた名乗りが、つまりが『自分の名前』が諸事情で否定されたのである。
しかし改名後もヒットが続いたのでラッツが定着した。
山崎邦正は月亭方正になっても、ヤマちゃんなのか?
三枝は文枝になれているのか?
そんなことも頭をよぎりつつ。
名前ってのは授かりものだと思うんですけどね。
それを『自分のもの』と考える慢心が、いわゆるキラキラネームになっているのではないでしょーか。
誕生した当人には姓も名も自分で選べない。
だもんで名づけというのは一族(チーム)の知恵を結集して、慎重にしたものなのだ。
『名づけ親』なんて言葉があるように、第三者にゆだねることも珍しくなかった。
だいたい死ぬときの名前をどんだけ気にしたって、会ったこともないどっかの坊さんに『戒名』つけられちゃうんだから。
いまに子供たちもこんな『姓』やだ。こんな『名前』やだ、つって騒ぎだしたりね。
犬猫のペットまで騒ぎだすぞ。
五代目柳家小さんの弟子立川談志。
入門時につけられたのは柳家小よし。
二つ目昇進で小ゑんになって、真打で立川談志となった。
その名前にもむろん先人がある。
自分でつけたんじゃあない。
んが、談志としう名前を巨大にしたのは、あの談志にほかならないわけで。
本名『松岡克由』さんが、その才覚で談志をでえっかくした。
ばかりか落語立川流を立ち上げて、家元にまでなった。
先代はイロモノで売った人だったとか。
はて、
談志は本名と芸名のどちらで逝ったのだろうか。
自身でつけた戒名は『立川雲黒斎家元勝手居士(たてかわうんこくさいいえもとかってこじ)』
自称☾☀闇生☆☽