少年の日に東京の大空襲を体験したというその職人さんは、四十年前に日本を、そして十年前には韓国を自転車で一周したのだという。
 今では補聴器のやっかいになってはいるのだが、
 この酷暑のなか大声で冗談を言い、
 率先して働く姿を誰も老人とは見ないだろう。
 現場の学生街を行き交う若者たちよりも、あからさまに壮健なのである。
 事実この日、
 二十代の頑丈な職人が熱中症で倒れたというのに、終始そんな調子であった。
 工事は街路樹の植栽だ。
 年月が、人知れず幹を肥らせて、
 その根元を囲っていた鉄柵を、深々と身体に食い込ませていたのである。
 ちょうど独身時代のスカートに、哀しき中年腹を無理やり押し込んだ感じで、ベルトの部分が腹の肉に埋もれてしまっている。
 スカートのひらひらは切り外せても食い込んだウエスト部分は致し方ない。取り除くすべがない。
 それを見て彼はひとこと、こうこぼしたのだ。


「かわいそうになあ」


 して、
 その自分の言葉に驚いたように、こう付け加えた。


「木を見てかわいそうだって感じんのは、ニッポンジン特有なんだってな」

 
 はて、
 事の真相は定かではないが、
 さもありなん、と構えて損することはない。
 なら構えようぜ。
 不覚にも闇生、プチ、感動してしまったのだ。
 クジラを獲っては無駄なく使い、
 果ては鯨塚まで建てる健気な国民性である。
 その昔、自給自足のおばあさんを取り上げたドキュメント番組があって。
 彼女は、
 たとえば雨が降ると、
 翌日には裏山にキノコが生えるといって、それを採りに行くような生活をしている。
 収穫があればそのお礼にといって、キノコの生えていた樹木の根元に清酒をふりかけるのだ。
 ありがとう、とつぶやきながら。
 日本酒の成分が、キノコの発育にどう作用するのかといった賢しらな疑問は、無粋というものだろう。
 彼女の精神には、感謝と憐れみが同時に発動としていると思われ。
 つまりが木々への「かわいそう」である。
 といってその憐憫は、傲慢な上から目線のではなく、
 それに拠って立つほかない自らの矮小を自覚してこその、絶妙な境地から届くのだ。
 畏怖。
 もしくは畏敬、か。
 まるで王蟲に対するナウシカのような。
 ……だなんて、本末転倒な比喩をゆるされよ。
 エコという概念には、この畏怖がない。
 少なくとも「木々に清酒」をカガク的に論じて鼻毛を伸ばすよりは、彼女はよっぽど、環境と折り合いをつけているのではないのか。
 








































 それはきっと世界との折り合いであり。
 死と生の折り合いでもあり。







 ☾☀闇生☆☽