松尾スズキ作・演出 劇団大人計画公演『さっちゃんの明日』WOWOW放映


 まず、
 演出を降板した『ドブの輝き』と、
 まざまざとパワーダウンをさらした『まとまったお金の唄』。
 これらを機会として、松尾スズキの芝居からは興味が薄れてしまっていた。
 特に後者では「イマジン」の使い方のベタさ加減が、まるで学芸会のようだったし。
 クリスチャンなのに靖国英霊として祀られてしまった夫を、その妻が奪還しに行くくだりがあって。
 そこに、不満を抱いた。
 靖国には、遺骨や遺灰は安置されていない。
 だから、本当にクリスチャンならば、あそこに霊があるだなんて信じるわけがない。
 クリスチャンはむろんのこと、仏教の各宗派もふくめたあらゆる宗教の垣根をこえて祀られるところが、あの聖地の面白さであり。
 寛容さであり。
「死んであの世で合おうぜ」
 といって死に別れても、
「おたくとは宗教が違うから、会えねっすわ」
 では無粋だと。
 つれないと。
 時には、それぞれのあの世の中間点で落ちあって、お茶でもすっぺやと。
 なんなら、会員制クラブ『靖国』がいいんじゃねーかと。
 そんなストーリーを共有して、故人とつながろうじゃないかと。
 時空なんざ、ひとまたぎじゃ。
 なんなら、とはなんぞやと。
 ものすごく乱暴に、がさつに、かつ不謹慎にたとえてみたのだが、ようはそういうことらしく。
 その『宗派をこえた』という意味合いでは、なるほど「イマジン」なのでしょうが。
 しかしそれは、ひとえに帰るべき場所があってこその、お茶なのであってね。
 彼女の暴挙は認知症の進行が引き金になっている。
 だから、その認識違いも、ひょっとすると認知症のせいにできるのかもしれない。
 ならばそうであると、劇世界の中で解決なり、なんなりするべきだったのではないのかな。


 ま、
 それはともかくとしてだ、
『さっちゃんの明日』
 WOWOWで放映されたのを録画してもらって、観た。
 いやあ、笑った笑った。
 で、ちょっと泣いた。
 エログロのお下品パワーも、今回は空回りしてないし。
 いわゆる身体障害をフィルターにして偽善をすかして見せるのも、松尾本来の強さを取り戻しているように感じた。
 この世界、明るく元気なそば屋の看板娘さっちゃんが主人公だ。
 彼女は幼いころに犬にかまれて、片足が不自由。
 その母は、祖父とデキちゃって、
 それも厨房での作業中に乳繰り合って、
 思いのほか高まってしまったシンクロ率にうろたえつつも、腰が右往左往、
 東奔西走。
 諸行無常
 で果てて、ふやけて、びっくんびっくん痙攣しているところを目撃されて、
 んで、駆け落ちさ。
 出て行かれた父は働くのをやめ、言ってみりゃニート状態。
 それでもさっちゃんは健気にそば屋をささえて働くのであーる。
 純白のかっぽう着と三角布。
 歌いながら自転車で出前に勤しむその姿。
 それはあたかも希望に輝く昭和の、庶民ドラマの態である。
 と見せかけてだ、
 そこは松尾なんだわ、
 さっちゃんにも夜な夜なエロサイトに耽溺するという、どろりとした性癖を用意しているのだな。
 タイムリーなことに覚醒剤MDMAも絡んできて、大変な騒ぎになっていくのだが。
 この重さを黒い笑いで潤滑に運ぶ力は、さすが松尾といったところだった。


 むろん芝居は生で観てこそだ。
 これまでも繰り返し言ってきた。
 けど、それを承知で書いている。
 だから生で観劇した方の感想をと、ネットでさらさら追ってみた。
 するとなるほど、舞台空間の使い方について触れている方があって。
 主な場面はそば屋のセット。
 それとジャンキーの溜まり部屋のふたつである。
 しかし、この配置関係が放映では分かりづらかったのだ。
 舞台の左右に別々に作ってあったのね。
 ならば、視覚的に間が空いてしまったかもしれない。
 それとアップも多かったので、それが間の短縮にひと役かっていたのかもしれない。


 久々に声を出して笑ったよ。
 皆川、好演。
 今回は阿部や荒川に頼らないという、その姿勢が潔い。
 松尾の登場が多いのが、なによりうれしい。




 ☾☀闇生☆☽


 今年初めての、オフ日。
 それもあっという間に暮れて行く。
 夜はパット・メセニーのライヴDVDを観る予定。
 レンタルは、談志をごっそりと予約しといたぜいっ。
 ぬはははは。